昭和の風林史(昭和五十年五月三十日掲載分)

惨たる結末が 見えている相場

世人を唖然たらしめただけという事になろう。仕手戦のとがめは惨たるものがある。売り続行。

「蜻蛉生れ水草水になびきけり 万太郎」

手亡ストップ高で、バスに乗り遅れるなの人気が小豆相場を走らせ、ストップ高に買われたことは、相場の人気というものの一面を見る思いがした。

人気はひと場で急変する。

買い声につられ、走る値につられ、買いが買いを呼ぶ。即ち群集心理である。

手亡の仕手戦。小豆の天候相場。場面はにわかに殺気だってきた。

手亡の値段。仕手戦とはいえ、明らかに行き過ぎた地点である。

大衆店に買い玉を這わせ、大衆の売り玉が踏んできたところでバイカイをふる。

一種のダミー戦法であり、ダミー会社の上前をはねる積極攻撃型である。

期近限月を売って長期限月を買う。

古い相場師には考えられもしなかった〝奇手〟である。

先々を買い煽っていく方法は48年の板崎相場で使われた戦法。これも併用されている。

ひと昔前の穀物の仕手戦は〝毒饅頭方式〟といわれた。

当時、仲買店の向かい玉は自由であった。

顧客の玉を常時向かう大衆店で資金面も大丈夫なところを選んで小口に割った玉をはめ込む。

玉は充分にはまった頃合いを見はからって相場を煽りあげ、踏みをとる。

〝毒饅頭方式〟の仕手戦は仲間内を食うので、いろいろなシコリが尾を引いた。

二千円台に乗せてから29日の寄りで〝三空飛び放れ〟である。千円台のを入れると〝四空〟だ。

一万一千円から二割高。高下とも五分一割に従いて二割、三割向かう理と知れ。

日足線で新値11本。

日柄と値段とで限界一杯の売り場をつくった。

梅雨の前の納会に受けた現物の品いたみと金利、倉敷を計算すれば少々の煎れを取るぐらいでは採算に合わない。

六月ピービーンズの大量入荷。七月発会。

雑豆輸入商社は、一万三千五百円の相場なら輸入して五割~六割儲かる勘定から買い方はピービーンズ輸入促進に拍車をかけた。

単に、人気の裏を衝き市場内部要因の間隙を縫って世人を唖然たらしめただけの相場である。

市場人気は一転して強くなった。仕手戦に焦りと無理が見えだした。

決然売りでよい。

 ●編集部注
 時代の転換点は後から分る。当時は分からない。

 相場に限らず、昔からの手法が通用しなると、新手法が登場する。

 今のリクルートの前身会社が首都圏で「週間就職情報」を発行したのはこの年のこの頃である。

【昭和五十年五月二九日小豆十月限大阪一万九一二〇円・六〇〇円高/東京一万九二三〇円・七〇〇円高】