硬軟熱くなる 抜刀隊の白兵戦
手亡相場は抜刀隊のぶつかりあう白兵戦になった。S安、S高、殺気がみなぎる一大絵巻。
「いちご熟す去年の此頃病みたりし 子規」
手亡相場は炸裂の乱戦場面を迎えた。
大衆筋は高値に来て買いついた(踏みも出ていた)。『買い方仕手筋は一万九千円を付けると豪語しているそうだが』―と市場で噂されているが、人気がそれを言わせるぐらいだから、かなりの強気がふえている。
店の懐ろは〝旗〟になったところもある。
しかし乱高下の白兵戦で抜刀隊がぶつかりあう場面だけに、S安→S高→S安と値動きは目まぐるしいだろうから懐ろ玉も〝持ち〟になったり、その日のうちに〝旗〟になある。
総取り組みのが膨れるだけ膨れての血を見るような激闘だけに、売りちょうちんにしろ、買いちょうちんにしろ、腹を据えてかからないと、ぶっ飛ばされよう。
聞くところ今回の仕手戦のキッカケ、即ち〝蘆溝橋〟の銃声一発は、大量買い玉を擁するカネツ貿(若林会長)は、薄商いの市場で売り方山梨商事(霜村社長)が、バンバン売り叩くのでたまったものでない。なにをこのやろう―、自社の顧客を思えば当然おこる相場心理だ。
カネツ商事の清水会長は『一月から四月までにカネツ貿易の手亡買い建ての証拠金(預り)は二十億円から十五億円に減った。減った五億円は売り方山梨の懐に入った勘定だ。店としてはお客さんを擁護するため〝場勘〟で取られるなら現受けで防御しようと考えた。一回S安が入ると二億円が飛んだ。それならいっそのこと毎月、毎月五百枚の現受けで現物投資で天候相場を勝負しよう。カネツ、カネツ貿は全力あげ、わが社の顧客を支援するのだ』―と。
おりからの静岡筋が買いに入った。売り方山梨は奇襲を受けて五月限を二千丁担ぎあげられた。
手の内のカードが読まれていたようだ。スリーカードで勝つと見ていたのが相手はロイヤル・フラッシュだった。勝負師としては頭に血がのぼるところだ。
カネツ貿の若林氏は常に冷静な勝負師である。そして『手亡は叩かれ過ぎた。正当な値段ではない』と言っていた。その信念を貫き『久しぶりでやった』と語る。早受け二百枚。東穀協会長店も加わって場面は最大にエキサイトする。
●編集部註
この文章、どこかで見たような光景だと感じた。
昭和三七年に発表された梶山季之の小説「赤いダイヤ」で同じような構図があった事を思い出す。
事実は小説より奇なり。
ちなみに、この小説が角川書店で文庫化されたのは昭和五十年である。
【昭和五十年六月二日小豆十一月限大阪一万九二四〇円・東京一万九三〇〇円】