昭和の風林史(昭和五四年八月二四日掲載分)

ドカ安だけに アク抜けも早いか

急落あれば急騰あり。これが天災期の波動である。見切り千両だが、ねばり千両でもある。

「朝風や声新しき法師蝉 葛彦」

アンドロメダの三万六千は値段でなくて小豆の作付面積だったのには往生こいた。

見切り千両、早逃げ千両。しまったは仕舞えで、なりふりかまわず投げた玉も多かったが、流し目千両で捕まった玉もある。

捕まっているのは高値買いだけでは御ざんせん。安値売りの玉も捕まっている。

相場とは、苦汁を舐めるものである。呻吟(しんぎん)せぬ相場なし。

苦汁、呻吟あればこそ、ほどけてきた時の解放感、思い通りにいった時の醍醐味が価(あたい)千金となる。

それ一種の業(ごう)とも言えよう。

シカゴ・ラソール街では『勝者は決してあきらめず。あきらめた者は勝てない』と言い伝えている。

『成功した投機家は、血みどろに傷ついた時のワッペンか、絶望状態にもかかわらず、あきらめずに戦った記念の記章を持っている』―とも言う。

『成功した投機家は忍耐強い。女神が、またほほえむのを知っている』。

いま、辛抱強く売り、戦線の塹壕に身を伏せていた人に女神がほほえみ、勇士は抜刀して塹壕を飛び出した。

それでは、あの高値圏を?んで、辛抱している買い玉に、女神は、ほほえむだろうか。

それには幾つかの条件が必要である。

(1)人気が、甚だ弱くなり、売り込みが増大し、買い玉も投げ尽すという内部要因。

(2)秋の需要で、現物の売れ行きがよくなる事。

(3)産地のお天気が崩れて作況が悪くなる事。早霜被害などあれば大変だ。

売る側に立つ弱気は〝輸入小豆の季節〟が先に控えていること。

買い方に芯がないこと。いわゆる烏合の衆である。

売り方にはホクレンという超大型の仕手が存在する。雑豆輸入商社という手ごわい在存もある。

52年相場も、53年相場も、小豆というものは、売り辛抱した者が最後に勝っている。

小豆とは売るものなりと見つけたり―という気風がある。それは、輸入大豆についても言える。輸大とは売るものなりと見つけたり―という考えが定着しつつある。

だけに、その裏(人気の逆)も考えられるわけである。ここのところが、相場の難かしさである。相場は一にも二にも運次第と言われるのもそのためである。

●編集部註

久しぶりに、文章中に「アンドロメダ」が登場。

ただ、ここでのアンドロメダは松本零士のそれよりマイケル・クライトンの方に近い気が・・・。

「ジュラシック・パーク」で有名な、このシカゴ生まれの小説家が書いたお話は、71年に映画化されている。