昭和の風林史(昭和五四年九月六日掲載分)

商取業界昨今 元気出さねばの秋

◇…小豆相場のほうは、戻すような場面があれば、売っておこうと待つ格好で商いも薄い。

「鉦叩たきて孤独地獄かな 敦」

◇…商取業界の昨今は、概して空虚である。

松尾芭蕉の「秋風や薮も畠も不破の関」という感じである。

業界人に元気がないのは、成績が上がらない。商売が昔のように儲からない。取引所や役所が、がんじがらめに規制した。営業の新人が集まりにくい。

相場の動きが小さくなり、お客さんの数も減った。

業界の前途に対して、希望の湧くような見通しが、まだたたない。

新規上場商品の道は遠い。そして業界人は総体に老いた。戸籍年齢だけでなく、精神年齢まで老いた。

業界が発展途上にある時は、無茶もんや、やんちゃものも輩出したが、総体に経営者も営業スタッフも小ぢんまりと、野性味がなくなり、無気力、惰性化した。

こういう現象は、どのような業種、業界でも必らず遭遇する循環現象である。

成熟期を過ぎ爛熟期を過ぎ、そして衰弱期に入り回復力のないものは滅亡する。商取業界は、主務省筋の室長あたり、いまのような状態では、いずれ滅亡するだろう―と、おっしゃるが、業界人が、甘んじて滅亡の道をたどるようなことは決してないと思う。
先物取引きという機能が経済社会で効果をあげている以上、時代が移り変わっても、商品取引所は存在するし、商取業界も、規模こそ大きくならずとも存続する。

◇…要するに、これからは、生き残れる者と、姿を消していく者とに区分されるわけだ。

生き残れる者とは、世間様の物指しの目盛りで、計ることの出来るところだ。

この業界には、この業界の内部だけでしか通用しない物指しで、すべてを計ろうとし、また計ってきた。その目盛りで世間様を、まかり通ろうとしたところに誤算があった。

はかるとは謀の字も謀るであるし、ほかにも測る、量る、諮る、図ると、それぞれ持つ意味は違うが、はかったり、はかられたりが世間である。

◇…見たところ、業界の経営者群は、財の目減りで臆病になっている。もともと太く短くの人生観だった人々が、太く長くという欲が出た。長くいこうとするなら細くしなければプツプツ切れるのが世のならいである。ここらあたりにも計量思考の矛盾があったようだ。目下、それの洗脳中というところである。

●編集部註
平成の御代からこの業界に入ったものが読むとツッコミ処満載の一文とも言える。

イヤイヤ、ここから更に、どんどんと悪くなって行きまっせと。