疲労蓄積した小豆である
小豆は戻しては下げ戻しては下げという気重いコースに入っていくのでなかろうか。
小豆は買い方が相場をこわす格好だ。
小豆は売るのは危険だ―という考えにさせられて、前(当限)に回るたびに売り玉は踏まされてきた。
凶作のあとで渡し物が少ない。カラ売り玉は煎れるしかない。
敢て売る人もいないわけで、買い方は楽な相場の展開だった。
しかし、日柄というものには勝てない。相場は疲労の極にあった。
また大逆ザヤによる高水準相場が、実需を圧迫した。
春が遅れているという異常気象も実需不振に輪をかけていた。
全般に人気は離れ、一部特定の人による小豆市場という様相が続いた。
相場の反落は(1)疲労している相場に、(2)輸入小豆の入船で需給がゆるみ、(3)次期枠発券が少し早くなって四月限納会渡しに間に合うようだ。(4)実需のほうも彼岸で見た如く低調。
表面的には、以上のようなわけである。
内部要因面では、すでに踏むべき売り玉は踏み終わっている。
買い方は高値圏で値段維持のため知らず知らず玉がふくらんでいる。
当限に渡し物が結構ある。しかしこれを受けても二番限下ザヤでは採算がとれない。煎れも取れず、採算もとれない当限買い方は、買い玉を整理せざるをえない。
買い方は自らの手で値を崩す段階である。
将棋で言う“指し過ぎ”は指せば指すほど詰めが遠ざかり、駒を渡すから自王に詰めがすぐにかかる。
相場の無理は、ある限界を越えると、必らず将棋の指し過ぎ現象になる。
高値圏で、下げるための大きなエネルギーを蓄積してきた小豆だけに、流れとしては戻しては下げ、戻しては下げという気の重い場面になりそう。
●編集部註
昔から「無理が通れば道理が引っ込む」と言われる。道理とは、正しい筋道という事。要は無茶が過ぎると正しい筋道を通した事象が行われなくなるという事。まさに現在の日本のようだが、これが相場にも適用されるよ、と風林火山はここで警鐘を鳴らしている。
1984年春の小豆相場はまさにガラ寸前。差し詰めこの頃は「狼が来たぞ~」と叫んでいたずらする少年に村人が右往左往していた時期だ。
夏の前、狼は本当にやって来る。しかも一族郎党引き連れて。この時少年が声を枯らして叫んでも、村人は誰も信じなかった。これも相場に通じる。誰も売らないから大きく下がる―とも言える。