昭和の風林史(昭和五十年五月三十一日掲載分)

新ポから惨落 勝負すでに決す

手亡の仕手戦は山を越した。買い方の反撃は猛烈であろうが輸入商社との勝負に勝ち目はない。

「仏法僧翼の紋の翔けて見ゆ 秋櫻子」

山梨商事の霜村昭平社長は六月一日の鮎の解禁が待ち遠しい。一日千秋の重いというべきか。

それと六月二日の新ポ。

待ってました―と観衆から声のかかるところだ。

霜村氏『私は十一月限発会から土俵にあがる。今の手亡は買い占め戦で、この結果は見えている。買い方には大きな誤算があった。それは、もうピービーンズは入らないと見たことだ。私は海外の白系雑豆供給が根底から改善されれば考え方も変わるが、今のところなんら海外の需給事情に変化はない。従って、私は六月二日新ポから決然と土俵にあがって、来年三月まで一本道の売り勝負をかける。相場は終局四ケタになる。買い方は、もはや抜けられない。それは輸入商社を相手に勝負を仕掛けた格好になったからで、日本中のピービーンズを彼は抱く結果になろう』。

陽動のために煽った格好の小豆相場は、早くも折れてきた。大衆筋も小豆の噴き値を思い切り買いついた。この結果は、やはり大幅崩れによる整理を待つしかない。

手亡のほうは買い占めの常道で北海道を逆ザヤに持って行き現物が消費地相場に流れ込むのを防止しているわけだが、これとて新ポ11月限が登場すると、今までのようなわけにいかなくなる。

売り方の主役・山梨の霜村氏は今まで声を発しなかった。

だがいま、六月新ポから土俵にあがるという。主役登場、待ってました、大統領―というところである。

静岡筋の買い玉がおよそ六千枚。そして世に名高い〝梨田ファミリー〟のちょうちん玉がどれだけあるか。

勝負は、すでに決まったようなものだ。

三晶の六月に入荷するピービーンズの第一弾。七月発券(七〇〇万㌦予想)一万㌧契約。古品ピービーンズの積極輸入。

もはや買い玉はグルリを取り巻かれ脱出出来ない格好である。

そして買い方が日本中のピーを一手に抱かされる結末は、奈落の底の五千丁崩しとなろう。

手亡相場は売りあるのみ。S高で上げたところは全部S安で落ちよう。

買い方の道中における反撃、これみな急所の売り場になる。相場は山を越した。

●編集部註
 銘々がこの機会に金を投じている。まさに投機。

 昔は板寄せが取引の主流で、節ごとに鮪のセリのような怒号のやり取りが繰り広げられ、価格決定で本当に板が鳴った。

【昭和五十年五月三十日小豆十月限大阪一万八四二〇円・七〇〇円安/東京一万八五三〇円・七〇〇円安】