昭和の風林史(昭和五十年五月二十日掲載分)

誰が為にある 売るためにある

手亡相場は売るためにあるようなものだ。誰がために鐘は鳴るではなく、売るために手亡がある。

「河鹿鳴く水打って風消えにけり 亜浪」

手亡の十一月限は、どのあたりに生まれるか。

そしてその生まれ値が、どうなれば強いと判断し、逆に弱いと判断するか。

十月限が基準になる。

十月限と十一月限の格差が二千八百円。それに諸掛りとクレーム料五百円と見て三千三百円幅。

十月限より三千三百円上に十一月弦は生まれなければならないが、とてもとても、そのような力はあるまい。

仮りに二千八百円だけのサヤを買って生まれたとしても、すかさず黒塗りの矢が飛んでいく。ブラック・アローの的になる。

米常商事の大阪支店の加藤憲一氏が夕方遅く仕事の帰りだ―と小生の事務所に立ち寄った。

小生はウィスキーをなめていたところで一杯おすすめした。話は相場の事で、加藤氏の言うには、随分昔の〝風林〟の記事で、毎年毎年桜の散る時分になると必ずその言葉を思い出すと言う。

ウィスキーで少し赤くなった顔で『花は散る散る相場は下がる。下がる相場に追証がかかる―』。実に名文句だ、風林語録の中の傑作だ―と言う。

今年も桜の散る時分、やはり下がる相場の追証を取りに走っていた―と。

書いた本人は、もう忘れていた。

物書きの悪い癖は、書いた事を忘れてしまう事だ。書かれた人にとっては、いつまでも忘れられない。

刃(やいば)の傷は、いえるとも心の傷はなおりゃせぬ―と言う。

花は散る散る―か。

桜のころの相場は、たいがい安い。

筆者は、来年三月花散るころ―の手亡の事を書こうと思っていたら加藤さんを思い出した。

それで、手亡を売って、まず一億円―というキャッチフレーズを考えた。

本年十月末の手亡供給量は49年産手亡の繰り返し約二十五万俵。

ピービーンズ(新ワク分を含め)約二十万俵。

合計四十五万俵。気絶しそうな量に50年度産新穀手亡が乗っかる。

来年三月までタライまわしされるピービーンズを思うと、六月二日新ポを待たず十月限手亡を売って、十一月限も十二月限も建つごとに売れば億単位の利食いだ。

●編集部注
燃料も入った。買いシグナルも既に五月九日のローソク足で点灯した。

ジェットストリームに乗った昭和五十年の小豆上昇相場がついに始まる。

城達也の語りによる「ジェットストリーム」が、この八年前からやっていたというから驚きだ。

【昭和五十年五月十九日小豆十月限大阪一万六八五〇円・一四〇円高/東京一万六九〇〇円・一七〇円高】