ヘドロの如し 処置なしの手亡
大量のヘドロが手亡相場の〝おり〟になる。手亡はこれから売っても充分銭になる。
「堅田鮒雨のあがりて日に少な 涼舟」
昭和48年に山梨商事がピービーンズを四千五百㌧、三晶が千五百㌧、合計六千㌧輸入した。
そのうち山梨商事は千㌧を逆輸出した。
残った五千㌧のピービーンズが持ち下げならず定期市場のヘドロになった。
この五千㌧のピーをお腹の中に入れる(消費する)のに丸々二年を要した。
当時、逆輸出できたのは海外市況が上昇していたからだ。二百十㌦で輸出したものを四百七十㌦で出した。海外市況は五百㌦していた。
いま逆輸出はどうかというと、まったく不可能だそうで、一俵換算四千円以下なら別だが―と。
今年はピーが十万俵以上も輸入される。
そのピーを神戸の現物筋は一俵六千円なら二割五分ないし三割混入して潰すが七千円っでは手間がかかって間尺に合わない―とつれない。
五千㌧で二年かかった。十万俵なら何年かかるか?という単純な計算は出来ないかもしれないが、とにかく大変な量のヘドロである。
そういう事から手亡は戻りを売るしかない。
市場は、かなり強気になっている。だが先限の千二百円から五百円までのところは売っておけばよい。
欲を言えば六月二日新ポに登場する11月限。これを横になって売る。
新穀のサヤを買うだろうし、手亡の作付け減を買おう。また晩霜などあってS高にでも買われるようなら嬶質の売りだ。
12月限も1月限も2月限も、登場してくる限月すべて売って、売って、売りまくれば来年三月花咲く時分は億の金が握れる。
そのうち50年産の新穀のピーが契約される。ビルマのバターが入ってくる。
現在北海道に30万俵近くの49年産手亡が残っている。
手亡の千丁戻し、再びこれが一万一千円→一万円→九千円の大台三ツを割るだろう。
11月限がサヤを買ってどこにうまれようと叩き売れ。
手亡売りは銭になる。
そう信じて売る。
手亡は底堅い。これは強気一貫。どこかで火が噴く。
天災期の本命である。
●編集部註
この当時と現在とでは〝ヘドロ〟という言葉の重みが違う。
今より公害問題が生々しかった時代の〝ヘドロ〟という比喩表現で一体どんな相場を示していたのかを考えると味わい深い。
【昭和五十年五月十六日小豆十月限大阪一万六七一〇円・一〇〇円高/東京一万六七三〇円・八〇円高】