昭和の風林史(昭和五十年五月十六日掲載分)

三千丁あれば 焼跡の釘でない

ピービーンズ回しのゲーム、誰がピーを最後に掴むか。手亡相場の買われる地点を狙って売るべし。

「ふるさとや障子にしみて繭の尿 青畝」

一万四千円から売ったが一万二千円からは、よう売らなかった―という。

手亡相場で上手に泳いだ人でも、一万二千円からは売れなかったようだ。

一万二千円割れ(三月末)から四月4日にかけて千二百円強を急騰したあの場面で、それまで売っていた人が踏んで、一万三千円台をドテン買いした。

クロウト中のクロウトと言われる人でさえこれだ。

手亡相場に依然として人気が寄っている。なぜだろう。①よく動くから②手数料のヌケ幅が小さい③証拠金が安い。

大衆筋は買って、買って、下げて、下げて、投げて、投げた。本来なら取り組みが、ドカッと減るのである。

取り組みは減らない。

大衆筋は安値に突っ込んできた相場をドッと売った。

売り込んだから、売り叩いた地点に相場の抵抗が出来てしまった。

相場の社会では〝売り厭き〟という。

日柄で、どれだけ下げたのだろう。二月24日の一万四千八百十円頭からでも三つきまたがり75日になる。

人の噂も75日。手亡が安値をつけた五月9日で、ちょうど75日になった。

三つきまたがり60日が相場思案の日柄の節として昔から言われる。

手亡相場の流れが変わった―と見る人は、静岡筋の仕手介入と大衆の安値売り込みとサヤの変化を重視する。

しかし、安値から千丁戻しは売り場だ。

仮りに四月18日の戻り対して半値戻しとしても千円強の戻り地点。

現実にピービーンズが市場にウズを巻けば、相場は再び嫌気されよう。

相場は大台四ツ替わりの千円戻し(二月24日の頭から四千円→三千円→二千円のラインを割って千二百円反騰した)。そしてもう一度三千円→二千円→千円の大台三ツ割って、戻したところである。

であるならば、戻り一杯したあと二度あることは三度あるといわれるから千円→一万円→九千円の三ツ替わり。ないとは言えない。ただし時間はかかる。

手亡は焼跡の釘さ、と言うものの、三千丁幅あるとすれば、これは狙うのは当然。一万一千円台で再び買いダンゴをつくれば、抜く手も見せず斬りつけよう。

●編集部註
 急騰と急落は、突然やってくる。いや、むしろお客さんがいないから急変動するのだともいえる。

【昭和五十年五月十五日小豆大阪一万六七一〇円・八〇円高/東京一万六六五〇円・二〇円安】