昭和の風林史(昭和五四年七月二十六日掲載分)

昔の相場です 腐っても赤ダイヤ

赤いダイヤは赤いダイヤなのである。昔の名前で出ています。五千円台の押しは静かに買うがよい。

「熱砂走るひびき少女の重さだけ 誓子」

あの頃といっても、つい半月前に五千円までは一本道だと言っても?そんな馬鹿な〟という空気だった。

小豆先限は五千円に乗せた。五千円台で押し目が入るとよい。

その押し目は買い場になる。小波動三段上げして、これが大相場初期の一と波動。三コ小隊で一コ中隊と考えればよい。三コ中隊で一コ大隊。三コ大隊で一連隊。三コ連隊で一コ師団というふうに。

まだ、本当に強気になり切れない市場だ。おっかなへっぴり腰である。

なまじっか買い仕手が存在しないから相場は、非常に素直だし、オーソドックスである。

五年前、十年前の小豆相場、いわゆるクラシックな波動である。

行く先は三万円台だと思う。十一月までは、弱気しないほうがよい。弱気の病気にかかると、初期の一段上げの中の小波動三ツで天井に見えたりする。

五千円台で押し目が入ると、これが中段の上げのエネルギーになる。

相場は中段の上げが最もよく伸びる。

以前に書いたが、高回り三年目の年回りである八月の低温で、恐らく不作決定となり、北海道の古品小豆は新穀に化けるだろう。

秋は早いようだ。出回りは遅れよう。

他商品がいまひとつ判りにくいから投機資金は小豆に集中しよう。

人々は?赤いダイヤ〟を敬遠していると思っているが、それは一、二年前までの事で、新しい投機層は違った感覚で小豆をとらえている。?赤いダイヤ〟は、あくまでも?赤いダイヤ〟である。

人々は、ここ三、五年の仕手相場で、仕手相場でない相場を忘れてしまったが、昔の相場、昔の名前で出ていますというところ。

見ていると利食いが早い。やれやれで降りている。降りたあと高いと今度は売ってくるだろう。

この相場の芯を掴みきった人は、安値を売っていても、ドテン買ってくるはずだ。軌道修正は早いほうがよいし、充分間に合う。

25日は天神祭り。本紙五千号の祝電とお祝の麦酒が次から次にとどけられ、山本博康先生からも麦酒を百本もお祝にいただいた。有り難う御ざいます。五千号で相場も五千円に乗っけましたねと、多くの方々から祝福を受けた。気を引き締め、念力をかけていかなければならない。

●編集部註
 池波正太郎の〝仕掛人〟や、さだまさしの〝目が点〟のように、その後も生き残る言葉を作った人間は強い。梶山季之は昭和50年に亡くなっているが、著書の題名である〝赤いダイヤ〟という言葉は、見事に生き残った。