昭和の風林史(昭和五四年七月二十日掲載分)

なにを迷うか 買いしかない相場

相場は相場に聞く以外にない。小豆相場は、なにかを先知している。日柄も充分である。

「黍青く生簀に土用鰻あり 春一」

きょうから夏の土用にはいる。土用は士気旺盛にして暑熱甚だしく地気一変す―といわれるが今年の場合、どうだろうか。

土用の十八日間を暑中という。これが済むと幾ら暑くても残暑になる。

「とりどりの紐つながれ土用干(恒明)」。土用の晴天の日を選んで衣類や書画を陰干しにする。

北海道の小豆は開花期にはいる。作柄に最も影響を与える大切な時期だ。

天気予報では七月下旬は低温の予想である。

小豆相場のほうは買いにくい場面が続いているが、気のついに時には安い売り玉が捉まっていたということになりかねない。

市場は、弱気は弱気である。強気は強気である。両者対峙して相場の呼吸をはかっている。

この、相場というものは発作(ほっさ)みたいなものだと思う。

なにかのきっかけで閑だった市場が急変する。売りハナが売りハナを呼ぶ。見る見るうちに売りハナがふくれあがり値が走る。

しかし、この発作のような現象も、経験を積んだ注意深い投機家にすれば、上るべき理のうえに、なんらかの現象というか、兆候が前もって出ているわけで、いうならば、その信号が人より早く判るということは、相場が語りかけている。いわゆる相場を相場に聞いたことになるのである。

ひとたび相場の発作が起れば、硬派軟派の力のバランスが崩れ、場勘戦争の白兵戦が展開する。

要は、発作の時期が長いか短いかで、大相場にもなれば小相場に終るわけだ。

大相場になるには、二大相場のエネルギーの量である。一ツは取り組み高、一ツは支援材料である。

もとより需要供絵は相場の根底をなすものであるが、需給が相場判断のすべてではない。

需要供給は、相場のある時点における単なる傾向指数のようなもので、その効力は、その時点で相場に織り込んでしまう。これをいつまでも後生大事に信奉していると相場から取り残されてしまう。

ともあれ?強弱〟を垂れても、買う人、買わぬ人。売る人、売らぬ人、人それぞれ自由である。
筆者は、ひたすら強気で八月大相場想定のもとに押しても突いても噴いても買い一貫と考えている。

●編集部註
 真の鰻好きは、土用の丑の日に鰻屋に行かない。

 本来、鰻の旬は秋から冬、水温が下がって来た頃のものを良しとする。

 勿論、養殖ものはこれに該当しないが、お安くはない食べ物を、わざわざ忙しい時期に食べに行く必要はない。