昭和の風林史(昭和五四年八月九日掲載分)

警戒人気強い だけに再爆騰する

小豆相場は警戒人気ばかりが強い。それに大々的な踏みが出ていない。押したあと再爆発する。

「古市や秋立ちそめし紺暖簾 滴萃」

去年の今時分、大同物産の松本支店で投機研究会があり、横ゆれの激しい満員の電車で、まっ黒のお城のある信州松本まで出かけた。

今年は第一商品が、この11日の土曜日に金沢で〝株式と商品の講演会〟があり、九時五分発「雷鳥」で行かなければならない。

金沢には、農林水産省の堤前課長が農政局の次長さんで頑張っている。金沢に遊びに来い―と、常々おっしゃるが、とにかく忙がしい。〝亜民さん〟が農政局の偉いさんとして、どんなふうに一人暮しを楽しまれているのか、見にいきたいものである。

去年の今時分であったが、山本博康先生や江口商事の児玉社長、そして岡本氏、藤田氏が堤さんを大阪に御招待して、夜遅くまでお酒を飲んだ。岡安の岡本明社長は、愛用のロールスロイスを走らせて、小生も乗せてもらった。当時、農林大臣だった中川一郎さんも、大阪に来ると岡安さんの、この車を使用する。
博康先生のキャデラックには、よく乗せていただくが、ロールスロイスも、また乙な車だと思った。サウナ風呂の前に、横付けすると、すぐ人だかりがして、のぞき込んでいる。〝亜民さん〟と小生と、変なのが二人乗っているわい―と、のぞいた人は妙な顔をしている。

〝亜民さん〟は、かれこれ一年、金沢での一人暮しは、もうまいったよ。早く東京に帰りたい―と、暑さに、弱ったふうだった。

さて、相場のほうは、飛んであけた窓を、飛んで下げて、激しくなった。

三晶やホクレンが売ったのに提灯もついた。産地の天候回復も高値警戒感を強めた。

しかし、取組みは増大傾向である。産地天候も再び下り坂だ。

売り方は、ただただあきれたわけだが、相場としては肝心の大踏み上げがまだ出ていない。

それに、買い仕手がいないのだから、提灯のつけようもない。作柄が更に悪くなれば、ここでの押し目が、再爆発のバネになる。先限引き継ぎ線で新高値に買われた以上は、少々押し目を入れても、新値圏の新しい相場になるだろう。

強気は、適当な押し目と判断する。弱気は、もう天井だと見る。

6日にあけた窓を埋めると、再度新値に買う力を相場は持つだろう。どこを買っても間に合う。

●編集部註
 今の人は〝亜民さん〟がイディ・アミンのモジりとは気付かないだろう。

 資源ナショナリズムと〝先進国〟の傀儡がまだまだぶつかり合っていたこの頃、鉱物資源とコーヒーが豊富なウガンダで、アミン大統領は独裁者として恐怖政治を敷いていた。

 彼が反体制クーデターで失脚したのが79年。1月にアントニオ猪木と異種格闘技戦を行う話が持ち上がり、開催寸前まで進んでいたという。