昭和の風林史(昭和五四年八月二九日掲載分)

人気は弱いが 売るしかない相場

作柄に異変がなければ、この小豆相場は下げるしかない。戻したところは売られよう。

「人の来てつくつく法師つまづきぬ 且鹿」

小豆市場は投機筋に力がないから半値地点で止まらず、産地の作柄が、この先も順調に推移すると上げた値幅を全部消すという、行ってこいの相場になるだろう。

一般的に、戻したら売ろうという気風である。

人気面は、かなり弱くなっているものの、実勢が悲しいかな味方していないので、弱い人気が、そのまままかり通っている格好だ。

そういう事から、来月、早霜などの材料で反騰するようなところがあれば、またとない売り場をつくるだろうという考えの人がふえた。

今年の天候相場も、あかなんだか―。そういう気分である。

しかし、相場の世界というものは、売る人あれば、買う人ありで、明日に望みをかけている人だっている。

それらの人は、豆はまだ畠の中にあり、収穫したわけでない。九月中旬、下旬の霜害だって可能性としては残している。

九月の声を聞けば彼岸の需要を迎える。

また、高値買い付きの玉が整理され、弱人気が浸透すれば、相場内部要因も好転しよう。

―という期待を持っている。八月と見たが、少々ズレ込んで、買いの相場は九月にのびたという見方なのである。

しかしどうだろう。作柄に、余程の異変がない限り、この相場は先行き重いように思う。

考えてみれば、インフレ再燃、石油値上げ、中越紛争、天候不順―などの材料すべてが、小豆相場に関して中途半端、不発に終っている。

という事は、投機家の力が弱くなったこと。芯になる買い方がいない事。反対に売り方はホクレンや雑豆輸入商社の影響力が大きい。

また、冷凍小豆の圧迫や中国と台湾の供給という、小豆の需要・供給、そして流通の構造変化が、やはり価格形成に響いていることを知る。

小豆とは、売るものなりと見つけたり。そうは思いたくないが、一年12カ月のうち、買い方がニコニコするのは2カ月で、あとの10カ月は、たいがい、買い方が苦心している。

安いところさえ売り込まなければ、小豆相場というもの、冷害・凶作の時以外は売ることに専念すればよいという実績が示されているのではないだろうか。

●編集部註
考察に理屈は必要だが、実行に理屈はいらない。

変に相場の動きに手前の理屈を入れると、理屈に支配され、それが致命傷になる事がある。

故に、動く時だけは徹底したリアリストであるべきだ。