昭和の風林史(昭和五四年六月二〇日掲載分)

運不運の問題 見えぬ時は見えぬ

自分の運勢がよい時と悪い時と、これは誰でも判る。相場は帰するところツキの問題だと思う。

「地蔵堂霖雨晴れたる羽蟻哉 月斗」

相場を仕掛ける時の気分というものは、実に頼りないものだと思う。

たとえば「戻ったら売ろう」と考えている。

相場が急反発すると、「戻りは売ろう」と考えていた人が逆に買ったりする。戻し方が、思っていたよりもきついから買ってみた。

いや、相揚が変わったのだ。戻りでなく、出直りになった―など、理由はどうとも付く。

輸入大豆相場を見ていても、売っていた人、ストップ高が解けたら、ともかく踏もう(煎れよう)と決意していたが、ストップ高がほどけて、少し安いとももう少し様子を見る。

ともかく相場というものは、今古東西を問わず「高いと買いたくなり、安いと売りたくなり、動かないと判らなくなる」ものだと思う。

高いと買いたいで買うと損。

安いと売りにいで売ると損。

それなら、買いたいところで売る。売りたいところで買う。それなら儲かるだろう―というのは、これは理屈である。

第一、そのような事は精神分裂症か、余程の二重人格の人でないと、終始出来るものでない。

ある人が、係のセールスマンに、くれぐれも念を入れて「私が10枚売り―と注文を出したら、必ずその反対の10枚買いの注文を通してくれ」と頼んだ。

セールスは、いくら近しいあなたでも、そんなことは出来ないと、ことわった。紛議にならないとも限らないからである。

もしそれを仮りにセールスが実行するとしても、注文を出す段になって、「10枚売り」と出せば、「10枚カイ」になるのだな―と、自分で決めた仕組みを判っているだけに、注文を出す時の心理は、素直なものでないから、裏の裏を考えたりして、混乱してしまう。

とかく相場は難かしい。

思う事は、自分の運勢のよい時と悪い時があって、運勢のよい時がくれば、普段のつきあいや精進、努力をおこたらぬ限り、相場が見えてきて必ず儲かる。

要するにツキである。ツキからはなれる。ツキを呼ぶ。

相場の当りはずれは、帰するところ、それだけなのかもしれないと思う。

ツク、ツかぬはバイオリズムで波があるけれど、昔の人は、本人の心がけ次第だ―とも言った。

●編集部註
 昭和五十年六月から一年で小豆価格は倍になる。

 翌年二月、相場は三万 六五〇〇円超え目前で失速。十カ月で半値近くになるも今度は半年で七割強戻す。そこからの反落は二万円割れ寸前で切り返すも七千円戻した所で力尽き、二万五〇〇〇円が売買の川中島であった。