昭和の風林史(昭和五四年六月二三日掲載分)

相場は難儀道 人知及ぶ所に非ず

相場様は人の懐(ポケット)の中をお見通しである。そして、まったく皮肉にできている。

「鶯の付子育つや小商ひ 青々」

「相場とはなにか?」については数百年来、人々が巨大な資金を投じて研究してきた問題である。

その結果、幾つものことが判然とした。

天井した相場は底打つまで下げ、底を打った相場は天井するまで上げる。

相場とは人気の裏を行くものである。

牛田權一郎一郎慈雲斉は(一七五五年)相場とは「大極動き二陽を生じ、動くこと極まりて静かなり。静かにして陰を生ず。静かなること極まりてまた動く。一動一静皆天地陰陽のめぐるが如く、強気の功現われて甚だ高くなり、上る理極まればその中に弱気の理を含む。弱気の功現われて甚だ安く、その中に強気の理を含む。万人の気弱き時は米上るべき理なり、諸人気強き時は米下るべきの理なり、これ皆天性理外の理なり」と喝破し、「相場の高下は、売買により高下するといえども、之を為すは人力の及ぶところに非ず、天然自然の道理ならぎるはなし」―と悟った。

アメリカの商品取引所の広告の中に「大衆は間違っている。あなたは大衆の反対をいきなさい」と書いてあった。

商品取引所が、大衆投機家に向かって、『大衆(の売買方向)は間違っている』と言うぐらいだから、商品のブローカーも、平気で、大衆は間違っている―と大衆に呼びかける。

ここのところがアメリカ人と日本人の、ものの考え方の違いである。

日本の商品取引所が、もしそのような広告を出したら、さっそく大衆投機家から「取引所の付けた値段が間違っている」と攻撃されるかもしれない。

大衆は間違っているということは、要するに人気の反対をいけということである。

相場の天井とは、相場が最高に強く見える時であり、相場の大底は、相場が最も悪く見える時である。

これを簡単な言葉にしたのが「踏んだらしまい、投げたらしまい」である。

人様が総売り、総投げの時に自分だけは買う。本間宗久翁は「その節、海中に飛び入る思い」と表現している。人様が総買い、総煎れの時に自分だけ売る。「その節、の火中に飛び込む思い」である。

さて、小豆相場はどうなのか。

戻すところで戻し、強気にさせたり迷わせたりで、相場様は意地が悪い。戻り充分でまた売られる。

●編集部註
 これこそ投資家心理の機微に振れていなければ書けぬ文章の見本といえる。相場の機微と痛みを知らぬ者が書くと、非人情極まりない悪文と化す。

 下げは始まったばかり。

 あれこれ論じている間は反転せず下げ続ける。