昭和の風林史(昭和五四年六月二五日掲載分)

魔の六月崩し 失神底なし沼の様相

小豆相場が魔性を発揮しだした。余り物に値なしで底なし沼であろう。値頃感無用のところ。

「風鈴のそろはぬ音なれ二つ吊り 汀女」

壁に張ってある小豆先限の引き継ぎ線を見ていると、あと千円、二千円の下のあたりまで線が垂れ込んでもおかしくないように思えてくるのである。

小豆相場は目下ドカ貧の最中である。

買い玉は失神して投げてくる。取引員セールスマンは週末と日曜を、追証取りで奔走した。 

追証切れの買い玉が週明け場に投げ出される。

作柄順調。値頃感無用。余り物に値なし―という場面だから、それがたとえ下げ過ぎても、その時付いた値が相場である。

先限の週間棒は、異様な線型になった。

ひょっとすると、先限で咋年十月23日のあたり、値段で二万九百五十円。いわゆる“解け合い事件”のあったところ。あの値を取りに行こうとしているのかもしれない。

それならあと、きっちり二千丁の下値がある。

相場は理外の理。人知の及ぶところに非ずだから、ひとたび魔性を発揮すると、行くところまで行ってしまう。

多分、今週は投げが投げを呼ぶ失神相場かもしれない。

では、こんなに早い下げなら、底入れも早くなるだろうか。

先限が二万円大台なら期近限月は、やはり一万八千円台があるのかもしれない。

行き過ぎも相場だし、現物が売れないのだから、定期市場は現物の捨場になる。

さて、一昨年の“本忠崩れ”は二月に天井した相場が、六月に入ってパニックの様相を示し、これが八月1日中段の底入れまで崩れている。

このあと、“栗田崩れ”の第二段下げで年内一杯を下げ続けた。
山高ければ谷深しだった。

去年は六月23日に天井して九月11日底。

今年の相場は一咋年と似て二月天井、六月に入っての“なだれパニック型”であるが、仕手相場でないところが性格を異にする。

人々は、ここ数年、仕手相場ばかり経験していたから、今の相場の感触が掴みきれないきらいがある。

この相場は、供給過剰と青田ほめの崩れで、いわゆる余り物に値なしの下げである。それと、買い方は未組織投機家だが売り方は現物背景の組織的集団である。

ここのところに力の差がある。小豆相場は底なしの沼かもしれない。

●編集部註
 バフェット曰く「恐怖の時こそ欲を出せ」

 けだし名言である。何故なら、実際にそうだからだ。

 反面、心と身体とお財布に余裕がある人だから言える言葉でもある。要は、余裕なき人は相場をしてはいけないのである。