昭和の風林史(昭和五十年四月五日掲載分)

底値圏を脱出 人海戦術の威力

手亡が栄えて毛糸が枯れるという現象が顕著になってきた。手亡の押し目買いが判りやすい。

「菜の花の相模は伊豆の山青し 五洲」

手亡の取り組み高は二十万枚になろうとしている。

二十万枚といえば俵にして八百万俵である。

手亡のミステリーというべきか。手亡相場を解明するには、このミステリーを解く以外にあるまい。

普通、全商品、即ち商品業界に一千億円の証拠金が介在していると言われた。総需要抑制、金融引き締め、投機人気減退でそれが六百億円ぐらいに落ちている。

それで、全商品の取り組みを一〇〇として、毛糸が三割五分、小豆と手亡で三割五分という、だいたいの比率であった。

穀物と毛糸、この両商品では七割を占めてきたのである。残りの三割のうち乾繭が九分。生糸が九分。綿糸六分。ゴム六分といウェイトだった。

現在は手亡が急増して小豆が減少し、王座を占めていた毛糸も取組が減少傾向である。
そして、乾繭が少しふえ、生糸、ゴム、綿糸は変化がない。

そこで言えることは小豆から手亡へ。毛糸から手亡へと証拠金が移動していることである。

この動きは、投機家の意思によるものではなく明らかに取引員の営業の方針であることが取引員別、商品別の建て玉推移で判明する。

専業取引員、即ちデパート式取引員が、ここ一年のあいだに穀物単品業者を、かなり買収している。

また、後発専業取引員は穀物を避け、専ら毛糸市場に顧客を誘導していた。それが、ここに来て、証拠金が安い手亡に焦点を合わせている。

この場合①天候相場を控えて相場妙味があることと②証拠金が手ごろである③出来高が多いから玉もはまりやすいという利点があるわけだ。

そういう背景を考え手亡相場を見てくると大衆を動員した当時の毛糸相場の動きを調べる必要がある。

安値から千円幅を棒に立てた手亡相場。玄人筋総弱気の反動でもあるが、広い市場、活発な市場を求めて営業を積極的に進める専業取引員の姿勢というものが、前の方に出て、手亡相場そのものの材料(需給等)はその陰にかくれる。

●編集部注
相場とは無関係だが、この年の四月、大阪では放送局のネットチェンジが実施された。

ある局は仮面ライダーの放送枠がライバル局に移る。この穴埋めに企画された番組が「秘密戦隊ゴレンジャー」であった。

【昭和五十年四月四日小豆九月限大阪一万七五〇〇円・六〇円高/東京一万七五三〇円・一二〇円高】