昭和の風林史(昭和五四年十一月二日掲載分)

激動期時代の最高のゲームだが

商品相場の投機は、不確実性の時代の、最も高度なゲームである。現代社会に適しているのだが。

「鹿小屋の火にさし向くや庵の窓 丈草」

中国が農作物価格を大幅に引き上げなければならなかった最大の理由は、都市労働者と農民の間に、大きな所得格差があったからである。

都市労働者の年間(平均)収入が六百元なのに、農民は十分の一の六十元という低さであった。

このため農村から都市に人口が移動し、ひいては大都市の失業者が増大(約八百万人)した。中国は食糧の増産に力をそそいできたが、過去20数年間、毎年の食糧増産分は増加した人口によって消費された。

米農務省の見通しでは、今後中国は毎年一千万㌧の穀物を買い付けなければならないだろう―と観測している。

現在の中国は、近代化を進めなければならない。一方では食糧を増産し、人口増加を抑えなければならない。大量の食糧輸入のためには外貨を獲得しなければならない。

本年、建国30年を迎えた中国は、難問を抱えすぎている。毛沢東がリードした大躍進(一九五八年)、文革(一九六六―九年)、四人組活躍(一九七五―六年)が、いずれも中国の発展のさまたげとなった。〝中国を駄目にした毛沢東〟という言葉さえ聞かれるそうだ。

狂信的独裁者の陥る不幸といえようか。中国の今後は、まだまだゆれ動くことであろう。

さて、相場のほうも昔は、該当商品の需要、供給、仕手事情を主にして考えればよかったが、今では円為替、フレート、金銀相場、他商品との関連、海外市場における投機筋の動向、そして公定歩合、石油などをカバーして、中国、韓国、ベトナム、中近東諸国の政治まで理解分析しなければならないから、投機は知的な高度なゲームである。

●編集部註
 私事で恐縮だが、この記事が書かれてから約7年後、ある使節団に同行し、中国の四川省に1週間ほど滞在した事がある。

 両替の際に、ガイドの方から諸注意を受けた。

 この当時、人民元は外国人が使う外貨兌換券と通常の人民元に分かれており、前者は国内のあらゆる場所で通用するが、後者は使用できる場所が限定されるのだという。故に取扱いに注意を払い無暗に札びらを切るなよと。確かこの時、1元が100円くらいであったと記憶している。そこから30年くらいたった現在、1元は17円くらいか。

 この記事が書かれた頃の日本は高度経済成長が終わっている。ただ戦後1㌦=360円のレートから始まった相場は78年に175円付近まで円高になり、そこから80年4月に250円まで円安となる。この文章は、その円安トレンドの中で書かれたという点は頭に入れておきたいところだ。