昭和の風林史(昭和五四年十二月三日掲載分)

期待感が高まる 大底入れた証拠だ

商取業界は、なんとはなしに一九八〇年に夢が膨んでいる。これは業界に大底が入った証拠だ。

「炭売に日のくれかかる師走かな 蕪村」

とうとう十二月が来たという、あとのない緊張感を感じさせるものである。

なにがどうだから―と年の越せなかった事はない。

要するに一年の、けじめがつけられるか、どうかだけで、これは長い人生のうちには、どうにもならない年末もあれば、大過なく越せる時もある。

いい正月を迎えられるか、悪い正月になるかは、人によって様々で、健康の事や家族の事。お金の事。商売人は取引先の事。事業経営者は会社の事。若い人は恋人の事。旅行の事など限りがない。

われわれ相場社会では、この一年、よかったか、悪かったか。とりもなおさず儲かったか、損したか。

『あかなんだなあ、今年は』と言える人は上の部である。

『いやもう、ひでえ年だった』―というあたりが平均的でなかろうか。

業界人は、今年は悪かっても来たるべき新年に期待する。相場に未来性はあっても過去はない―という割り切り方が出来るし、人生観も案外さっぱりしている。

ところが、そういう考え方とはまた別に、商取業界は一九八〇年に大きな期待を持ち、夢がふくらんでいるふうに見受けられる。

来年は、大不況がくるかもしれないという経済の見通しもある。

商取業界の人は、大不況結構という自信がある。

大不況で相場下落なら、売りの年じゃないか。

不況期は、投機熱が高まる。『よっしゃ、不況を食う男でいけ!』―となる。

商取業界は、この10年間、いいところなしで来ている。その意味では、不況に強い業界だ。

その業界も大底が入ったように思う。

商取マンは、泣くだけ泣いた。愚痴もこぼした。不平も言った。そして、なにかを悟った。泣いていたとて、誰も助けてくれない。

がんじがらめの規制は、自分達の手ではずすしかない。ようやくにして腹が据ったのである。天は自から助くる者を助く。

だから、業界人の意気込みが違ってきた。

取引員の許可更新という素地がそこにあると思う。不幸にして一線を去った社長もいる。しかし、『去る社長、残る社長も去る社長』である。油断したり、失敗したら、それは仕方がない。年内一カ月、とにかく前進である。

●編集部註
 確かにあの時一九八〇年に夢が膨んでいた。

 一九八〇年一月一日になった直後、全ての民放TVでギンギラギンに着飾った沢田研二が大きく開いたパラシュートを背負ってTOKIOを歌いだした事を思い出す。