昭和の風林史(昭和五七年一月八日掲載分)

来週は弱気が首をひねる

皆々、すべて、オール、上げ賛成の小豆相場である。来週は上伸する段階に入る。

今の小豆相場を売っている人にとっては解(げ)せないと思う。

それは相場というか市場というか、その構造が変化していることを無視して、従来の経験則や、自分に都合よく解釈された罫線観で相場を見るからだ。

また、そうではなくても、相場材料の枝葉にとらわれすぎて流れが見えない。

枝葉とは、六本木筋がどうした、こうした―という現象面からのとらえかたである。

そんなことよりも、なぜ雑豆輸入商社が定期離れしたのか。なぜ輸入小豆の値段が強張っているのか。

あるいは昨年失敗した農水省の畑作振興課が、次期枠を、どのように判断するのか。北海道の小豆作付け動向は、どのように展開されるのか―。

そのようなことを考えなければなるまい。

要するに、役所もIQホルダーも、北海道も、台湾、中国も、そして取引員(自己玉)も、更にいえば雑豆問屋も皆々すべてオール相場に対して上げ賛成なのだ。

弱気は『売り屋のいない相場は、下げだしたら深い』という。

確かにそれはいえるが、なぜ売り屋がいないのかを考えてみる必要がある。

在庫面にしても暴落していくようなものでない。

それは、次元の違うところで調節されているからだ。

閑だ。人気離散だ。取り組み減少だ。二月は集中入荷だ。買い屋が買っても(相場に)勢いがない―と弱気は言うが、ではなぜ暴落しないのか。

今の相場は頭を切りかえてみないことには、判らなくなり、つい弱気して踏まされるのがおちだ。

●編集部註
 ジャンルを問わず、歴史における「〇〇以前」や「〇〇以後」を考えるのは面白い。
黒澤明が時代劇を撮る以前、殺陣で血飛沫が飛ぶ事はなかったとか、同じく時代劇で人が斬られる時に効果音が使われるのは、五社英雄の「三匹の侍」以降であるとか、既に定説化しているものを再認識するのも面白いし、先日紹介したブレードランナーのように、まだ広く世間で定説化していないものを考えるのも面白い。
 1982年の小豆相場は2月頭から翌年1月、もっと言えば同年5月まで、長い長い下降トレンドを描く。この註を執筆する際に、筆者は当時の相場データを見るのだが、出来高と取組高を加えた日足を見ると、下降トレンドの中間付近である82年7月を境に取組高がガタンと著しく低下している。日足も大きなマドが出現。限月の違いと言えばそれまでだが、それならそれでサヤ移動がある。
 何が起こったのだろう。