昭和の風林史(昭和五七年二月十五日掲載分)

大暴落線が出現している

火の粉をかぶっても買い屋は一目散、早や逃げが勝ち。大暴落線が不気味に出現。

週末(土曜)の小豆寄り付きが、すべてを物語っていた。

この相場死にました。

相場は相場に聞け―というのは、ここのところをいうのである。

自由化問題のくすぶりは余りにも異常である。

国政レベルの対米判断と自民党内部抗争が絡まり抜き打ち的に実施される可能性も十分あり得る―とみる段階で、十中八、九自由化間違いなしと四、五日前から断言する人もある。

行政レベルとしては、次期枠通常発券で対応するしかない。

北海小豆は六万円近い値が付いているのだから生産者に不足はないはずだ。

小豆の線型は天井打ち、暴落線が出ている。

自由化により価格体系が土台から崩れるかもしれない時に、今までの考えは通用しない。

大の虫を生かすため小の虫を殺す論法は日本の政治家のお家芸である。その時小豆は五千丁幅真空逆さ落としで値が付くまい。

買い方は利食いした余裕資金がある。流れの変化に気がつかず、これで下値を買い支えようというような戦術に出ると、買うだけ買わしたあと、お腹に響くような下げが、ズボッと入るだろう。

国破れて山河ありという。城春にして草木深し。

週末の引け味、これが非常に悪い。

なにかがある。それは無気味というしかない。政党筋の売りか?。政商筋の売りか。見えぬものを見、聞こえぬものを聞くのが相場師ならば、一本の線、針の畳に落ちた音に慄然とす。

相場が相場を壊しだしたのだ。それは日柄の食い過ぎである。買い方が墓穴を掘る。一目散、早逃げが勝ちのところ。

まず二千丁下げの四千円割れまでは早いだろう。考えるのはそれからだ。

●編集部註
 窓、マド、GAP…。呼び名は色々あるけれど、マドは相場の華である。
 古今東西、相場の世界には様々なチャートが存在するが、マドは共通。重要なサインとなる。
 「この相場死にました」とまで言い切った原因は、当時の東京小豆の日足を見ると判る。2月9~10日にかけて3万6000円を上回っていた相場が翌週にマドを空けて下降。この時点で僅か40円だが真空地帯が出来、離れ小島が出現。海外ではアイランドリバーサルトップと呼ばれる線形だ。
 この場合、反騰しても高値が更新されない限りマドが埋められると反落する運命が待っている。
 チャーチストの売り方は恐らく、このチャートパターンが出た時に「しめた」と思った筈。
 古来、売りは「断行熟慮」であると言われている。