ひっそり閑と息ひそめて
藤原清輔は、ながらへばまたこの頃やしのばれむ、憂しと見し世ぞ今は恋しき―と。
『なんとかなりませんか』と張り付いてしまった小豆に悲鳴をあげる。
『五千円は岩盤なんでしょうかね?』と。
強弱語るものなし。ある人は、このような膠着状態で天候相場までいくのじゃないか?と。
それはまた、春の日は伸びたとはいえ、あまりにも気の長い話だ。
大阪の穀取と協会が輸入大豆市場の振興キャンペーン中だが、手数料が抜けない動きでは、どうしたもんだろう。
国際金相場がジリ安の時代である。あの物価高に火をつけたオイルでさえ、値下がりしている。
世界的不況が浸透して大不況の前兆などと、おどかされる。
普通は市場振興策などやろうとする時分になると、不思議に活気がよみがえるものだが、まだ辛抱が足りないのか。それともシカゴが悪いのか。
値千金の春の宵、日経の堤氏と近くの呑み屋で、どうなんだろうねこの小豆―と。彼『上に五、七百円持っていくと下げやすくなる。逆に、下へ五、七百円落とすと、上げやすくなる。そんなふうな相場じゃなかろうか?』と。
ほとんどが商社マンの部課長クラスがカウンターで飲んでいるこの店も、近頃なんでこんなに閑になったのでしょうという。
客種はよい。お酒は加茂鶴の樽。おでんはうまい。お勘定は安い。少し遅くいくと入れなかったのに。
金の相場も崩れるご時勢に小豆の値だけが突っ張る道理はないと思うのが人情。
おでん屋でさえ閑だから、小豆市場も閑になって当たり前かと思うのであるが困ったものである。
●編集部註
米国市場は1979年10月にボルカーショックがあった。その3カ月後の翌年1月、NY金相場は当時の史上最高値を更新後大きく下げる。同年3月まで下落後に反転上昇した相場は、9月に2番天井をつけて長期下降トレンドに転換。82年6月まで下げ続ける。つまりこの当時は金が〝陰極〟直前の時間帯である。
この流れにドル/円相場の動きを重ねると面白い。81年1月頃、為替市場は1㌦=200前後で推移していた。82年10月頃、1㌦=277円まで円安になっている。3月は1㌦=240円前後。
ドル/円相場とNY金との間には3カ月程度のズレがあるが、この年は節目の時間帯であった。