昭和の風林史(昭和五七年四月二日掲載分)

信は力なり煎れたら仕舞

売り急がずに六千円あたりから売ろうという待ちの姿勢になった。煎れたらしまい。

相場というものは材料を織り込んでしまうと、それはもう材料ではない。

輸入大豆相場が急騰した。

シカゴの五㌦50というスローガンを半年近くもかかげて、それが実現しないという事は、相場ではなく、モノの値段として大底をつくっていたのである。国内相場も去年暮の18日安値が日毎遠いものになっていたことは輸入大豆相場に関する限り相場はすべての悪材料を織り込んでいたといえる。

そこへ風潮として円安が定着し、フレートが高くなれば、輸大の万年弱気を嘲笑うように相場は身をひるがえし総煎れ場面。

このような現象を『ファンダメンタリストは理路整然と曲がる』という。

環境としては金の看板のないところは輸大に専念するしかない時だけに場が沸くと出来高は凄い。けだし相場は相場に聞くべきだ。

さて小豆相場のほうは隣の輸大に刺激を受けるが、コントラリー・オピニオン(強気指数)90は、いつ反動安がきてもおかしくないところ。

ただ、市場では買い方のパワーが仕勝っているから、ある程度の操作は出来る。安ければ強引に買いの手を入れる。小口の煎れが出る。前日より高いという図になる。

買い方は夏の天候相場の場に引っ張り込んで、そこで勝負をつける腹だ。

売り方は、なすすべがない。次期枠が予想より大きければショック安もあろうが、台湾、中国に大量供給の俵があるかどうかの問題になってくる。

まあ、このように考えてくれば、誰だって強気有利とみえる相場だが、相場というものは輸入大豆にみたごとく落とし穴、人気の裏がたえずつきまとう。

即ちそれが理外の理だ。

小豆の六千円だ七千円だと鐘や太鼓に幟を立てて囃そうが、煎れが出てしまえば、なにほど買おうが値は沈むし、高値には新手の売りが出る。相場は月にむら雲、花に風。

●編集部註
当時の大豆はどうか。
1982年の年間高値は4月10日であった。
ここから相場は翌年1月に〝コツン〟と音がするような安値をつけるまで下げ相場が続く。
穀物相場の不幸は相手が食品であるという点。それ故にデリバティブが生まれる元となったのだが、実はこの相場、戻しても数年下げが続く。