昭和の風林史(昭和五七年四月十六日掲載分)

値頃観と仕手期待感だが

閑な場面が続いている。やや売りあき気分。値頃観と仕手期待で買うが駄目だろう。

相場には三ツの敵がある。むやみに喜ぶな。悲しむな。怒るな―である。

苦しかった玉がほどけてくると、はしゃぎたくなる。それを相場様は意地悪くまた苦しめにかかる。

浮き浮きしたのも束の間で青菜に塩となる。

もう一ツは、うまくいかないと、なにかにつけて腹を立てだす。成績が悪いのは自分のせいではない。学校の先生の点の付け方が悪いのだという発想と同じ。

相場は人間修業の道。逆境不運もあれば順風幸運、あざなえる縄の如しである。

やることなすこと当たらない。考えて考えて曲がりにいく。このような時は誰でも心に焦りがくる。

焦ってはいけないと知りながら加速度をつけている。

このような時は動かざること山の如し、静かなること林の如しでなければいけないと人はいうのである。

相場は追いかけるものでない。待つものであると古人曰く。

弾もタンクも銃剣もみな失って相場だけみていると、実によく見える時がある。孝行をしたい時に親はなく、相場の見える時に弾がない。

野山を駈けずり相場を追いかけていた時は見えなかった相場が、なんと自分の横にきて坐っている。

そんなふうに思ったことはないだろうか。

小豆の当限納会は受け腰次第で強張る。しかし不需要期、輸入増大期、そして梅雨期を控えて受けてどうなる。あと悪しだ。

相場の流れは下行きであるから長い目で見ていくがよい。

本間宗久伝『正月頃より三、四月迄天井値段にて保合の相場は五、六月の内必ず下るべし』。

この相場下が深いと見る。

●編集部註
 煎じ詰めれば、値幅は別として上がるか下がるかの二択であり、買うか売るかどちらかを選ぶしかないのに、何故かくも相場で迷うのか。全ては日柄の読み違いと、欲望と、臆病から来ているのだと筆者は考える。
 相場に限らず、人の幸不幸はある日突然切り替わる事は稀であり、大概はじわじわと忍び寄る。〝むやみに喜ぶな。悲しむな。怒るな〟という金言は、臆病と上手に付き合う方法論なのかも知れない。
 漱石の草枕にこのような記述がある〝喜びの深きとき憂いいよいよ深く、楽(たのし)みの大いなるほど苦しみも大きい。これを切り放そうとすると身が持てぬ。片づけようとすれば世が立たぬ〟。