昭和の風林史(昭和五七年五月十一日掲載分)

若い相場ついていくだけ

相場が若いということ。これがなによりの強味だ。弱気はなにか錯覚しているようだ。

小豆はトレンド変わりであるから噴射ロケットの勢いが相場にある。

先週の限月別の週間棒が、まさしくその姿だ。

取り組みも増加傾向ということは、逆ウオッチのチャートでいう相場上昇期に入ったシルシ。

弱気の病気は赤い靴ではなく赤い豆、積んできて、波止場には―と、船が幾つ入ると積み荷の勘定ばかりしている。

それと相場は別である。まして相場が大底叩いて出直ろうという初期の段階でそれをいえばいうだけ売りたい病気がふえるし、病も篤くなる。

大安値から陽線三本立てた相場は成り行き買いである。先三本の一代足を引いている人には判る。

六本木の桑名筋の強引な買い煽りはケシカランと腹を立てる人もあるが、相場が出直るところにきていたことを見逃している。

売り屋だって、さんざん相場を叩いてきた。

相場に腹を立てるなかれ。

三千五百円あたりまでは真空地帯である。一気にその辺まで登りつめて弁当でも開こうかとなろう。

相場が若いということを忘れないようにしたい。

ましてこれから産地のお天気が大きな人気要素になる。昔の人はうまい事を言った。(春の)彼岸天井、葉桜直り。そして金魚売り(のくる初夏)に売りなし―と。去年は五月25日が青田底。本年は二十日余り早い五月六日底。

電話で強弱を聞きにきて自分の弱気ばかりしゃべっている人が多い。だからこの相場、ゆっくり上がると確信を強める。へたなことをいうと、むこうが腹を立てるので拝聴専念。これもまた相場の妙か。

●編集部註
 当時の景気というものは、どのように受け止められていたのだろうか。
 この年のクリスマスイブに経済企画庁がまとめた「昭和57年年次世界経済報告」というものがある。副題には「回復の道を求める世界経済」とあり、冒頭はこのような文章で始まる〝世界的な高金利と多くの国の抑制的な財政政策の影響から、82年の世界景気は同時停滞を強めている〟。
 株価を見ると判りやすい。NYダウは80年初頭まで続いた保合いを脱し上昇基調になった相場が、81年春頃から再度弱気転換。安値のピークを迎えたのが82年8月であった。
 日本は第二次オイルショックを日銀の金融引き締めや労使の賃上げ抑制、省エネ等で乗り切り、日経平均株価は右肩上がりであったが、その流れが止まり、保合いに入ったったのが82年であった。
 ただ、翌年からどちらも上げ潮に転じる。