昭和の風林史(昭和五七年七月二日掲載分)

七月中に決着つくだろう

兵に走あり、弛あり、陥あり、崩あり、乱あり。敵の撃つべきを知らば勝の半ばなり。

産地の気温は低目だが日照が十分あるから作柄のほうの心配はない。

新ポ12月限はサヤを買う力がなかった。

売る気はあるが様子を見ようという人ばかりだ。

こうなったら根くらべである。そのうち、なにかの異変が生ずる。

高ければ先二本を涼しげに売っていくだけ。

買い方は、今月も来月も渡ってくるものは受ける―と市場ではみている。

現物の損は定期の煎れ取りでカバーできる―という方法も、今では誰もが、あり得ることだ―と承知している。

ということは、それに対する対策と心構えが売り方にできているわけで、成功する、せんは別にして、知ったらしまい、もう怖くもない。

よく言うが仏の顔も二度三度。柳の木の下に二匹目の泥鰌はいるが三匹目はいない。

相場の日柄は三(み)月またがり六十日。

いまのような睨み合いの相場は今月中に決着がつくと思う。

苦しいのは自ら深みにはまって、引くに引けない買い主力だと思う。

在日韓国人の商工サービス業の人たちの資金運用という責任ある資本だけに相場師のような見切り千両と投げ出すことができん。

資力は続くと思うが更に深みにはいって、とどのつまり大きなリスクをかぶるだろう。

読み違いは買い主力の相場参謀たちの責任でもある。四、五千の用兵は可能でも二万という軍団の兵を動かす市場ではなかった。

孫子は「三軍の権を知らずして三軍の任を同じうすれば軍士疑う。三軍すでに惑い疑うときは即ち諸侯の難至る」―と。

われ出でて利非ず、彼出でて利非ずを支という。支形は時間が解決する。

●編集部註
 古参の相場師曰く、買いは熟慮断行、売りは断行熟慮であるという。
 〝売る気はあるが様子を見よう〟と熟慮を重ねている時は、決まって下がってしまうのが相場である。
 あれよあれよと下がっていく値動きを見て尻込みするその時も相場は下がっている。〝売れない相場は弱い〟のである。
 ならば損切り水準を決めて、エイヤッとばかりに売り参入した方が良い。
 今なら、ネット取引でさっと注文を済ませる事が出来る。しかし、この時はほとんどが対面取引。担当営業マンのノイズが入る。ノイズとしがらみに塗れた玉はなかなかに決済出来ないものである。