昭和の風林史(昭和五七年七月十九日掲載分)

なんともやりきれぬ気持

なんともやりきれない気持が充満している。業界は怒りの海である。

小豆解け合い値は下段相場表の通り(略)。

なんともやりきれない気持を委託者に与えた。

『もう小豆は絶対に手を出さん』という人が、またふえた。

穀取不信以外のなにものでもない。

これが商品市場全般の忌避につながるのを恐れる。

行き過ぎた思惑と、その失敗によって、市場利用者にかけた迷惑は万死に値する。ただでさえ不況の業界で同業取引員の足腰を弱らさせた罪は重い。

違約者の違約玉を割り当てられた取引員は、もっていきようのない腹立たしさである。

しかしこれからは、仲間(同業取引員)に対しての無関心さというものが、どれほど自分たちに災難がふりかかってくるか、肝に銘じたことであろう。

もう一ツは取引所に対して、堂々たる発言がなされなかった業界体質の弱さが、今回の事件を機に是は是、非は非、自分たちの取引所だという責任の重さを会員、取引員は再認識したと思う。

仕手戦は相場の華という気風が業界にある。

それが行き過ぎた場合どうなるかは、過去に経験してきた。

要するに市場管理の問題である。仕手機関店の自覚は言うまでもないが、取引所当局の見識が問われる。

今回の不祥事件に対する取引所の責任は当然、理事総辞職ということになろうが、すべてを刷新し、信用を回復するためにも、前と顔ぶれが同じということなら責任をとった意味がない。特に問題三市場の事務局理事の今回の無策・無能ぶりは話にならず、業界は怒りの海である。

●編集部註
 これは36年前、昭和57年7月19日付の記事であり今ではない。お上の〝なあなあ〟の体質は現在も変わっていない。この後の無為無策は全く刷新されず、ここから18年後の平成12年に、今度はパラジウム市場で同じような事が繰り返される。
 誰も責任を取らぬシステムは商品先物市場全体を弱体化させてしまった。巧く逃げ切った御仁は良いかも知れない(本当は良くないが)。だが、残されたものはたまったものではないではないか。
 後に株式会社化となったTOCOMは、奮闘している。しかし、先人が遺した負の遺産は減らず、足枷になっていると思う。
 過去の事に文句を言っても始まらないのは解っている。とはいえ、いま筆者が出来るのは、こうした悪い例があった事を後々に伝える事である。「ああなったらしまいだ」「こうはなるまい」と思っていただければ幸いだ。