昭和の風林史(昭和五七年九月二十五日掲載分)

煙も見えず煎れもなく

小豆は無関心。隣の生糸がホットな場面。買い方〝泥とシルク〟の深味にはまる。

納会のない小豆は無関心。

輸入大豆と生糸納会に神経が集まった。

輸大は10月限が火薬庫で来週初めに煎れが出てしまうかもしれない。

生糸はベトナム代理戦争の様相愈々濃くなる。

手持ち現物をタンクして納会受けによる煎れ取りで10月に戦線を延長していく買い方の作戦が、どこで息切れして〝七月小豆〟の二の舞いを見せるか。

買い方も自粛なら売り方も自粛ということで、神糸取職員が長崎雲仙お湯の町まで飛んだ甲斐あり。玉はほぐれたが、あとのハプニングに事務局の〝超法規〟的乱暴な付け替え。

これで一件落着かと思えども、納会なんと横神(場外受渡し分含めて)四千俵オーバーとは集めも集めたり、受けも受けたり。

しかし、煙も見えず煎れもなく玉だけかぶって『大変だよこの買い大手は』と同情された。

受けた現物はタンクするも可なれど金利・倉敷の時計がまわるし、換金安売りバーゲン出血見え見えだから、いよいよ深味にはまって異常性は次なる異常事態を迎えよう。

『それにしても取引員が買い占め本尊ということが、まかり通ってよいものか』と批判も厳しく、役所にしても取引所にしても10月戦への延長は阻止する動きに出るだろう。

常識的には大受け渡しのあとの相場は悪い。

そして買い方は、無理の上の無理だから、相場道からいって必らず破綻がくるだろう。その時、業界は、またまた震撼するわけだ。

ともあれ、今の市場は手の内誰もがお見通しだ。玄人中の玄人ばかりだから、なにもかもすぐに筒抜け。だから知らぬは亭主ばかりなり。誰かが言っていた。『亭主は熱くなるばかり』と。相場は熱くなったほうが負けである。

●編集部註
 厳密にベトナム戦争が終結したのは、サイゴン陥落で南ベトナムが崩壊した1975年である。
 しかしこの時、隣国のカンボジアとの間で国境をめぐる争いがあり、1978年からカンボジアとの間で戦争が勃発。これに中国が加わりカオス状態に。結局、この戦争は89年まで続く事になる。
 1982年はベトナムに侵攻されたカンボジアで反カンボジアの連合政府が出来た年であり、まだまだ東南アジアは不安定な状態が続いていた。