昭和の風林史(昭和五七年十一月二七日掲載分)

小豆は大底に段々接近す

小豆は安いほど底値に接近するから売り込むと大底で?まる。売り玉は利食い専念。

七月解け合い生き残りの小豆11月限が納会した。

強気の希望もポシャってしまう納会だった。

先のほうの限月は二万八千円を割って実勢の悪いことを知らせている。

しかし、底値圏に接近しつつあるとみるべきであろう。

安いほどに底が近づく。

解け合い生き残りの限月はもう一本12月限がある。

これが来月納会してしまえば、超高値取り組み限月が姿を消す。

春二月10日天井から十カ月。値幅一万円下げで世の中が変わるように思う。

仮りに二万六千円台があるとしても、買い玉持って辛抱できる人は、もうちょっとの頑張りだ。

大底を確認すれば、ナンピン買いすること。

売ってきた人たちは師走控えて利食い専念が本筋かもしれない。

これからは安いほどに政策が利いてくる相場だ。

また、因果玉が整理され、人の気も弱気に傾くところである。

くれぐれも安値突っ込みを売り込まない事。

大底叩いて?まったら、これは逃げられない。

輸入大豆納会は名古屋も大阪も買い方強引だった。売りすぎといえば売りすぎだったかもしれない。

しかし次の限月との逆ザヤ開きは異常すぎる。

納会落ち後の相場はどうなのか。

これが市場でいわれている三千八百円とか三千六百円という水準まで下がれば売り余地はない。

むしろ、そのような値段は買い場とみる。

取り組みに占めるT社の大量買い建ては、三千八百円→七百円を辛抱できるようならモノになる時がくると思う。

もしその安値でT社がナンピン買いを入れれば相場は急変するだろう。

●編集部註
 芥川龍之介は「僕の将来に対する唯ぼんやりした不安」という言葉を遺して自裁したが、この日発足した中曽根〝風見鶏〟内閣は田中角栄の影響が濃いという事で〝ぼんやりとした不安〟があった。 まだ「ロンヤス関係」という言葉が人口に膾炙する前である。情に掉させば流される浮世かな。
 歳末直前、相場も世相も〝ぼんやりとした不安〟のなか、この頃、月に空飛ぶ自転車が重なるシルエットだけの、ぼんやりとしたポスターが市中に溢れる。そこには「E.T.」とだけ書かれていた。