昭和の風林史(昭和五七年十二月十七日掲載分)

輸大二の陣三の陣買いで 

輸大はT社投げを待っている。三千七百とくれば成行き買い。弱気多いが底堅い。

商い不振で行き詰った取引所は、統合合併といっても、さてその段になると人員整理もしなければならない。切る側もつらいが、切られる側は、もっと切実である。

粛條として石に日の入る枯野かな・蕪村。年の瀬ともなると、いろいろ厳しい話を耳にする。石田波郷は、病む師走わが道或はあやまつや―と。それに気がついた時はもう遅い。

相場のほうは、気がついた時には煎れ投げできるが、人生や職業の煎れ投げは追証の請求がないだけに見切りがつかない。

松下幸之助氏は雑誌・宝石で来年は月給の三カ月ぐらいもらえないこともあると覚悟しなければならぬほど世の中不況のどん底。行くところまで行く―と。

長い人生のうちにはそういう事もあろうかい。

と割り切るしかない。どうにもならん時には、どうにもならんものである。

ところで小豆相場は商い極細である。年末敢てリスクに挑戦する事はない。

利のある玉は利食い。引かされ玉は辛抱。

十二月限の三万円台の買い玉持っている人いまっせ―と。へえー恐ろしや。なに言うてますのや、三万二千円の買いでっせ。

輸大はどうです?

玄人筋は三千五百円必至を言います。

そのような値があったら買いたいな。

あればよし、なければないでよしのポジションを採用すればよい。

トレンドから足踏みはずしたら三千七百円が瞬間的にないとはいえないし、T社が終戦してきたら、あるかもしれない。だが、そのような時は大出来高になるし、向こう一年の大底構成だ。

T社は砂糖戦線で逆境。花の盛りを過ぎれば、わが衣(ころも)ほころびにけり。輸大のほうにも影響してくるかもしれない。

●編集部註
 確かに、どうにもならん時には、どうにもならんものである。
 燻っている時は、何をどうやっても、本来なら勝てるものであっても負けるように出来ている。
 ならば「休むも相場」で相場を休んで様子見すれば良いのだが、こういう時に燻っている人は大抵依存症に罹っているようなものだから手を出しては負けるを繰り返す。 蟻の一穴天下の破れ―些細な事から堅牢な城はもろくも崩れ去る。
 現在も我々は、近場でもろく堅牢な城が崩れ去る模様を連日のニュースやワイドショーで目の当たりにしている。