昭和の風林史(昭和五七年十二月二四日掲載分)

輸大の安値はまた買い場

円高で売られる輸入大豆の安いところを買うのが判りやすい。小豆は閑散低迷か。

小豆の期近限月は二万八千円と九千円の千円幅圏内の高低で底練りしている。

先のほうの四月限、五月限は八千二百円中心の上下五百円で、これまた底練りだ。

相場は底入れしてはいるのだが、出直っていくだけのエネルギーがない。

それは需給事情にもよるが、結局のところ投機筋に力がないからだ。

力のない投機筋に対して現物の圧迫が解消されない。だから二万九千円以上は、すかさず売られる。

このようにしておいて横に横にと這って三カ月という相場を一枚がまだ40俵以前の一枚が20俵時代に随分経験してきた。当時の限月は今と違って三本だから穀取は閑古鳥の巣になったものだ。

あわただしい歳末、なにより有り難いのは、この暖かさである。しかし、物が売れない。タクシーの運転手も、こんな活気のない年末、見たことない―と。

世の中すべてがそうであるように相場また元気が出なくて当然か。

長い人生、正月の一度や二度しなくても、どうということないや―と早く達観したものが勝。不景気のドン底、どんなにあがいてみてもしれている。

小豆の一月相場は、戻した頭(22・23日)から千円ないし千三百円ほど安いところがあると見て、そのあたりまた買えばよい。

さて輸大のほうだが円高分が安い。

弱気の目標値は神戸納会三千五百三十円で出しきった。これは強姦したようなものである。

ちょっと下げると、強気していながらすぐにふらつく。そんな事では駄目だ。百万人といえど我れ行かん。周囲に弱気が多いほど相場の前途洋々と思わねば厳しい相場社会で勝つことはできない。安ければ買っていくだけだ。

●編集部註
 行間から殺伐とした歳末が匂ってくる文章である。今は古典落語の世界でしかほとんどお目にかからないが、この時期に商人は各家のツケを生産してまわる。
 そのあたりの悲喜こもごもが落語の「芝浜」に昇華されるのだが、それはまた別の話。
 思えば、昔の商習慣が廃れて久しい。筆者が子供の頃はまだ御用聞きが頻繁に出入りしていた記憶がある。酒はコンビニではなくケースで酒屋さんが届けてくれた。卵もスーパーではなく、卵屋さんが売りに来ていた。
 便利にはなったかもしれないが、風情もへったくれもない時代になった。