昭和の風林史(昭和五八年三月十二日掲載分)

投機家は絶望したら終り

輸大の強人気がグラついている。小豆は春天井型。産地相場がなんとも重いです。

あの旗を撃てとばかりに輸大三・四月限の高場が売られた。中国側の積極的な売り姿勢というムードが輸大相場を悲観に包み、もう一回、嫌な場面を辛抱しなければならないのか?と買い方沈黙。

もし市場で言われている中豆積極売り・30万㌧成約もあり得るとなれば、余程シカゴが天候相場で狂わない限り、大衆投機家にとって、穀取輸大相場は魅力を失う。

みすみす輸入商社の餌食になりたくない。

では、売りに回ればよいじゃないか―となるが、大衆人気が弱くなれば当然取引員自己玉は買いに変化し、インポーターまた逆ポジションになる。

だったら輸大に近寄るな。という身も蓋もないことになる。

投機家は、絶望した時が終りである。その時は金輪際足を洗うことである。絶望しながら少しポジションが有利に展開すると、今泣いた烏がもう笑う

安ければ買い玉整理が進む。新たに定期渡し用の玉もつくるまい。

われわれは、今年の輸大に大相場ありと狙いをつけて、すでに大底確認の上での夏に向かっての投機作戦である。

土台、四千円以下の相場は、長続きしたことがない。

53年秋から54年にかけての中豆大量入荷(54年三月四市場九十七万俵在庫)でさえ四千円以下の相場は18週しかなかった。

投機家は常に天下大乱、天変地異のアクシデントを期待して神仏に願う。パナマ運河の水位低下→フレート上昇結構な話。

まして今年の夏の異常気象は間違いない。

小豆は、暖候期予報の悪さを買うだけの人気がなかった。産地相場が、なによりも今の小豆の重さを物語っている。例年、春天井はお決まりのコース。

●編集部註
 相場だけでなく、並行して当時の世相も記しておかなければ立体的な見方が出来ないだろう。
 バブル景気を数年後に控え、この時期は〝軽チ ャー〟の時代であった。
 「楽しくなければテレビじゃない」をキャッチフレーズにフジテレビが路線を変更。漫才ブームが起こったのが80~81年。「オレたちひょうきん族」もこの頃に始まった。出演者のビートたけしや明石家さんまは、この番組以外にも平日の昼間から生番組に出演していた。
 その後番組として82年10月から始まったのが「笑っていいとも」。司会に抜擢されたタモリは当時一部の好事家しか知られていない存在で、すぐ終わると見られていたが、
この時分から人気に火が付き、結果的に番組は2014年まで続いた。