昭和の風林史(昭和五八年七月二八日掲載分)

納会が物語る八月の小豆

表面静かな小豆納会だったが売り方は震撼とした。八月は舞い上がるだろう。

煎れを取る人もない。おだやかな小豆の納会だった。

強引なことをするとあとの反動がきついから、まあこんなことでよいのだろう。

業界の人気は皆弱い。

そんなに弱気してよいのか?と心配になる。産地は土用三日過ぎれば秋風吹く。

花もつけないうちから秋の風では、仮りに四万五千㌶の作付けがあったとしても収穫絶望的。

収穫絶望なら次期枠拡大して早期発券だろうから強気するところなし―というのが売り方の論法だ。

それもよし。だが、中国といい、台湾といい相手があることだ。向こうだって北海道の大冷害を知っているから足もとを見る。

七月納会で実のところ売り方震撼とした。

八月、九月と先を思えばそら恐しい。

現物が、三万九千五百円(大納言)しているのに定期で(大納言二千円格差をつけて)三万六千九百円で買えるのだから、こんな判りやすい算術はない。

売り方は俵が読まれて今後のオペレーションが苦しくなる。

八月相場は、ちょっとした物音で暴走するだろう。今は、高くなると買い方が利食いする。高くなる場面では売り方手が出ず沈黙する。

商いが薄いときに弱気のテクニカルな売りもので、いかにも弱い相場に見えるが、基調を崩すほどのものでない。

そうこうしているうちに期近二本は三角保合(ペナント)放れを起こす。

今までは新値利食いの押し目買いだったが、新値、新値S高S高ときたときに抑えようがない。

とことん煎れ尽くす迄暴走した牛は走り続ける。

先二本の三万六千円→八千円は一週間と手間ひまかからないコースなのだから無気味である。

●編集部註
 今はサーキットブレーカーが発動されるのでそんな事はないが、昔はストップで張り付くとテコでも動かず閉口した事があった。筆者も白金相場で煮え湯を飲まされた。
 比較的商いが薄い相場がストップで張り付くという事象程怖いものはない。薄い相場は板寄せで文字通り商いを〝寄せ〟れば良いのである。先物市場は投機の現場であると同時に、価格の平準化機能を担う値決めの「いちば」であるという事を運営する側が忘れているのか、そもそも理解していないと感じてしまう事がこれまで多々あった。
 本来、お客さんが来てくれてこその「いちば」である。顧客ファーストであるべきなのに…。