昭和の風林史(昭和五八年八月二十九日掲載分)

輸大は相場を出しきった

輸大は売り方、買い方力の入るところ。小豆下げ中段の戻り。彼岸底取りに行く。

輸大の期近限月は買い玉しびれを切らして降りたら一気にサヤを詰めに走った。

えてして相場はこんなもので、役者が一枚も二枚も上だから人様のポケットの中をお見通し。

シカゴが乱高下を続けている。典型的な人気相場の末期現象だ。

線は夜放れ高で買い気を燃焼したあと叩き込んで、引けにかけ、たくしあげはパワーの中身ガランどうで、ふれなば落ちん風情。

穀取輸大の先のほうは新値圏を売りたい大軍が待機している。

ひとたびガラがくればもう手のつけようがない。

小豆は先のほうの限月せめて下げ幅の半値近くまで戻してほしいところ。

戻さば抜く手も見せずに斬る。

先二本こんなところでもたついていると八月20日の安値を割りにいくきつい下げがくるだろう。

この相場の底は秋の彼岸時分(来月20日~26日)か、名月や座頭の妻の泣く夜かな。九月21日あたりを考える。

三猿金泉録に「大法は秋名月が安峠」とある。

今の小豆は下げ中段の戻り。大きな河の流れでも水が川上にのぼっている場所がある。あれと同じで水は再び流れに乗る。

出来高にボリウムがないという現実。なぜかと考えてみるところ。抜き打ち的な五百万㌦繰り上げ発券でシラけたのである

凶作を反映しない相場。それは強力な買い仕手不在なるが故であり、売り仕手ホクレンと自己玉総売りがなせるわざと見る。

短い夏の歓楽きわまりて、哀愁多しのところでなかろうか。

●編集部註
 上がり続ける相場というものは存在しない。必ず何処かで修正安が来ると〝相場が決まっている〟のが世の常である。
 値動きだけではない、うだるような暑さも何処かで終わる。
 人の心も同じ。はしゃぎ過ぎた夏の反動が秋になってぶり返して来る。
 今でこそカンヌ映画祭でパルムドールを獲った映画に主演している俳優として世に知られているが、リリー・フランキーの本業はイラストレーターであり、文筆家でもあ った。随筆家としては、当代随一の実力を誇る。
 その昔、彼が今ほど有名ではなかった頃、慶応大学の先生が学生の文体を調査した際、男子女子を問わず、彼の文体を真似た物が最も多かったという逸話が残っている。
 彼が書いた「女子の生きざま」(新潮社)に収録されている『享年16歳』という随筆は、秋にやって来た夏の反動を描いた名文であると思う。