昭和の風林史(昭和五八年十一月二十一日掲載分)

やはり崩れたがっている

相場に絶対がないことを小豆当限が教えてくれるであろう。一限、二限も下が深い。

相場は人気の裏を行く。小豆当限のように十人が十人とも絶対上に行くと確信を持ちだしたら人気指数でいう『90%の強気は逆に相場崩れの前兆』と思えばよい。

一俵の現物がなくても下がる時がくれば下がるのが相場である。

オランダのチューリップ球根相場にしても、ある日突然暴落に転じ、全国的投機熱に浮かれていたオランダは経済が破綻。これが立て直しに百年を要した。

小豆の現物がほしくて当限を買っている人はほとんどいない。

ほしいのは値鞘である。できるだけ高い値段で誰よりも早く、利食いして逃げたいだけだ。

昔から相場は値頃見るより、日柄見よと言う。

六月安値から、いまの11限一代の足取りを見れば、いかに凶作とは申せ何もかも織り込んだ時点である。

先の方の限月は、期近の歯止めがあっても急な坂を転落して行く姿だ。

玄人筋は期近買いの先売り、大衆筋は期近売りの先買いというポジションであるが、大勢トレンドからいえば限月問わず小豆は全部売りの時代である。

高い物は売れないことをシカゴ大豆相場が手近に教えてくれた。われわれは、数年前にカズノコの馬鹿高い相場がどのような運命をたどったかを見てきた。

世間一般物価は落ち着いている時に、凶作小豆であろうと、入船遅れであろうと高いのは一過性のものである。いずれは三万円以下の水準に落ち着く。

●編集部註
 バブル相場の話になると、何かと引き合いに出されるのがチューリップの球根だが、日本にも同様のバブルが存在していた事を知る人は意外に少ない。
 明治時代、それも西南戦争(1877年)の頃の万年青(おもと)バブルがそれにあたる。当時は、現在の価格にして1億円で取引される鉢も存在したと言われている。
 植物故に、バブル崩壊後も根強い愛好家が存在。以前、外務員時代に日参した顧客がそうだった。
 広大な屋敷の一角に、例えるなら中堅サラリーマンがベットタウンにローンを組んで購入した一戸建て住宅くらいの大きさの大きなビニールハウスが作られている。
 2階建てのビニールハウスには、あたり一面、大小の万年青の鉢が並べられている。様々な種類を交配させるのだという。
 画像検索すると判るが、花も実もなく、大きく細長い葉っぱがあるだけ。正直言って面白みに欠ける植物と筆者は感じた。
 神は細部に宿るという。存外、その辺りがマニア心をくすぐるのだろう。