下げるために戻している
下げるために戻しているふうな小豆で強張るだけ強張れば、そのうち気抜けする。
やや売り込んだあとの反発で嫌な思いをした小豆相場だが、強いのは期近限月だけで売り玉煎れるほどでもない。
買い玉にしても利食いできる水準まで戻してはくれない。
出来高がワッとふえた時だけ小豆相場らしい動きになるが、あとは、すぐ薄商いになるあたり、上にも下にも一方通行する時でないようだ。
実収高の発表は、九月時点より一割ほど減少しているだろうというのは、すでに常識である。
常識とは誰でも判っていることで判っていないという人は、おかしいということになる。
その判っていることを材料にして、ある程度相場がいうことを聞くのは、やはり弱人気で売り込んだ取り組みがモノをいっただけ。
昨今の投機家は人気指数や相場の勢力指数を重視する。新規売りや新規買い、転売買の数字を基礎にして比率を出したり、出来高と値段のバランスを指数化して、これが比較的参考になる。
要するに売り人気が強ければ相場は上がり、買い人気旺盛なら下がるという相場は人気の裏を行くを数字に置き換えただけの話。
アメリカではコントラリー・オピニオンといって十人のうち七人が強気なら売り。十人のうち三人が強気なら買い―というふうに定着している。
いまの小豆の場合、四分六の割り合いで売りたい人が多い。だから強張ったが、どちらかといえば全般気迷いの霧の中にあって判然と強弱を表示するものがない。
だから相場のほうもすぐ薄商いになって、少々のハナで高下する。
シカゴでは閑な相場に手を出すなという金言がある。捕まったら逃げられないからである。
●編集部註
枯れ木も山の賑わい―、というが、西部劇に出て来るような、草さえも生えていない寂寥たる荒野のようになってしまった市場を見ている人間からすると、この頃の小豆市場は捕まっても逃げおおせる余地はまだあったのではと思ってしまう。例えそれが芥川龍之介の「蜘蛛の糸」であっても…。
話は変わるが、この年の12月、当時のローマ教皇、ヨハネ=パウロ2世がローマにあるルター派の教会に訪問した事が話題になっている。
マルティン・ルターがカトリック教会、並びにその総本山であるバチカンのローマ教皇に反旗を翻したのは、1517年。世界史の教科書に出て来る「宗教改革」はこの年から始まる。
2020年はこの15 17年と同じ天体配置が出現すると『フォーキャスト2020』にある。