市場のパイは更に小さく
ネガチブ・サム社会とは小さくなりつつあるパイを取り合う今の小豆市場をいう。
小豆一月限も玉締めの恐れありという市場の常識になっているが、人気面では、かなり嫌気して小豆離れの傾向だ。
ホクレンという狭い牧場の中で三晶という牧童に縄をつけられて走りまわされているような小豆の市場では、他商品に比べ証拠金も高いし、セールスもお客もソッポ向いてしまうとうまいことをいう。
IQホルダーの三晶の外貨割り当て比率を、もっと低くして、その分を分配するよう政治的はたらきかけがなされているというが本当だろうか。
IQ小豆をホルダーが定期市場で買い思惑し、輸入独占の暴利をむさぼるなどもってのほかだという声はたえず聞かれる。
また、外貨を使わない三晶の外貨を実需家に再割り当てすべきだ―とも。
いずれにせよ小豆の輸入枠を拡大するか、自由化にもっていくか、政治的な動きが水面下でかなり活発化しそうである。
相場は年内逆張りと見る人が多い。
下げたところを売ってはいけないという認識が強まった。
取り組みの減少と各節の薄商いはスキャルパー筋のスクイズに多くの人が嫌気している現れで、こんなことをしていたら、ますます小豆ムラは小さくなり、手亡の市場と同じ運命をたどろう。
それでも私は小豆をやるというマニアは、どんな理屈に合わないことがあっても腹を立てない事。
腹立ちまぎれの読者からいろいろ言ってくるが、負けたから腹が立つので、それが嫌なら小豆から綺麗に足を洗うことである。
思うに相場は相場である。ミクロ的に見れば人為の及ぶところもあろうが、マクロ的に見れば人為の及ばざる世界である。だから小豆でも面白いのだ。
●編集部註
実際、この時の風林火山の予言は的中した。
どのジャンルも、コアとなる古参マニアの動きを感度の高い〝にわか〟が飛びつき、そこから軽い〝にわか〟が群がる。しばらくすると一部の〝にわか〟がマニア化し、段々と閉鎖的な空間になって来る。軽い〝にわか〟が離れ、古参マニアは別のところに行き、その時、ムラは小さく寂れている。
ノーベル文学賞作家、ガブリエル・ガルシア=マルケスの書いた「百年の孤独」は、後に魔術的リアリズムという用語で呼ばれる事になる独特の筆致で一つのムラが始まり、栄え、廃れ、無くなるまでを描いたある意味おとぎ話なのだが、ただの物語が後世の予言のようになる事は小説の世界ではよくある話である。
日本の穀物市場の栄枯盛衰に当てはめて、今この小説を読むと非常に理解がしやすいと思う。