昭和の風林史(昭和五九年四月十三日掲載分)

小豆の七、八月限買い本命

小豆七限、八限今の水準は夏の天候思惑で買うのが小豆相場の常識というもの。

大阪小豆の取り組みが目立たないが増加している。

取引員の自己玉は六月限が四四二枚売りに対し一〇四八枚とこの限月の買い越しが目立っている。

取り組みの厚味も六月限が五〇九三枚(片建一六〇三枚)と、限月中の最大である。

六月限に一体なにがあるのだろうか。数日来、数店の取引員に買い玉が這わされだしたと噂になった。

全般が閑散な時だけに、このような情報は一波が万波で伝わる。

思えば昨年も五月限本命説で、筋ものが五月限買いに思いをこめて水面下で努力したが、この時は徒労に終わり皮肉なことに五月の26日がすぎてから六月、七月と北海道の異常気象で火を噴いたのである。

北海道にくわしい人は三月初め頃から今年は五月の小豆播種は難かしいかもしれないと言っていた。

それは天候が半月ほど遅れるという見方によるものである。

この人たちは三月納会を受け四月限を中心に強気の陣を張っているわけだがもう一つの流れは、四月では早すぎて、兵站線がのびきってしまう。三月に受けた玉は逆ザヤの四月限にヘッジして、これを渡し切る。

そのような考えのようであり、今月の交易会での様子と、台湾(九八〇㌦)の状況を勘案しながら産地の天候、農作業の進展を調べ、七、八月限にも思惑の手をのばす。

以上のような方向へ目下のところ動いているのでないかと想像するのである。

六月限にしても世間が騒ぎたてるほどでもないと思う。業界としては市場がにぎわってほしい時でもある。しかし異常な現象なら取引所がシグナルを出すだろうし、買い方も先に乗り替えていくだろうから、七、八限買いが面白い。

●編集部註

兵站線が伸びきってしまうと何が恐ろしいのか。

何処かをプツリと遮断してしまうと最前線に物資が届かなくなってしまうのである。

そして、この戦法をお家芸にしているのが旧帝政ロシア軍、更にそれを受け継いだソ連であると、

今読んでいる安冨歩氏の「満州暴走 隠された構造」(角川新書)の中にある。

退却戦を駆使して相手の兵站戦を伸ばしに伸ばし、伸び切ったところで一気に叩く―。ナポレオンのフランスも、ヒトラーのドイツも、この戦法で一敗地に塗れた。

日露戦争での日本も、バルチック艦隊が壊滅し、ロシア革命が起こっていなければどうなっていたか判らない。その点が、当時の日本では理解されていなかった。これが、後の太平洋戦争で数々の悲劇を生む事になる。