天運いずれに味方するか
天はいずれに味方するかである。雲の流れは五月第二週に入ると速くなるだろう。
風薫る五月というが、肌寒い。ストーブをまた引っぱり出してくる。
今年は変なお天気だ―と思えば小豆でも買っておこうと、これは強弱抜きで考えるのが、相場する人の本能である。
臨増規制が異常なほど厳しい。今よりもっと大幅逆ザヤの時でも、今回ほどの規制をしなかった。
だから名古屋市場の二月、三月納会(暴騰・暴落)みたいな事になった―と(役所側は)神経をとがらす。
もう一ツは六月限の片寄った取り組みを(六本木事件二の舞いにならぬよう)早手回しに対策する。
それは取引所の市場管理の問題である。用心するに越したことはない。
しかし、季節商品の小豆が人気化するシーズンを前に(ヘッジ機能を最も発揮すべき時期に)角(つの)を矯(た)めて牛を殺すようなことのないよう願いたい。
淮南子は「冠履(かんり)を貴んでその頭足を忘る」といった。
相場のほうは規制強化の前二本は好事家にまかせて、今年の天候を思惑する人は七、八、九月限に焦点を絞ればよい。
需給は緩和するであろう。しかし、二年続きの冷害気配が表面化してくると、消費地四万円の相場だってないとはいえない。
確かに群雄割拠の今の買い方は(売り方も)白衣の傷痍軍人みたいなものである。また、連合は騙した騙さん、裏切った、裏切らんの感情と勘定がもつれ合う。しかし、吾れ関知せず。相場は相場に聞くのみ。
そこで線はどうか?となる。すくなくとも崩れる姿ではない。
早渡しでぶっ叩いてやると言っているそうだと市場の噂だが、早渡しは切り札を勝負の前に出してしまう結果になりかねん。俵の読みくらべと資金力の問題。天運いずれに味方するか。
●編集部註
この前のNHKによる豊田商事のドキュメンタリーの時のように、ここでも昭和のこの頃の記述と、令和の今がピタリと重なっている。先般紹介した文芸春秋7月号では今回文中に出て来る六本木事件の話も出て来る。
この事件の主人公の一人として、町井久之という人物が登場する。彼は六本木にTSK・CCCターミナルビルという複合ビルを昭和48年にオープン。ただバブル後は「幽霊ビル」となってしまう。
リーマンショック直前、このビルに朝堂院大覚という人物が管理組合顧問という肩書で住んでいた。 この人物こそ、ノンフィクション作家石井妙子が最近上梓した話題作『女帝小池百合子』(文藝春秋)において暗躍するキーマンであったりする。
令和2年7月13日記