ありがたいの言葉
日常、生きていくうえで、『なんの、いい事もない』と、文句を言う人は多い。
こういうのを罰当たりという。
悪い事が、無いだけでも、どんなに有難いか。
人生、一寸先は闇である。油断していると、どんな大難が襲いかかるかわからないのだ。
突然、体の調子が悪くなって、医大の附属病院で診てもらったら、ガンだったり。
子供が、学校で、いじめにあっていたり、車で大事故を起こして自分も重傷で、入院したり。
とにかく毎日が怖い。朝の通勤電車でも、あたり前に時間通り来て、時間通りに着くのは、これは普通。
ところが、なにか事故があって、電車が途中で動かない。乗客はイライラしている。ちょっと動いては、またすぐ止まる。
会社から帰りの時間に駅は黒山の人で、電車は動かない。タクシー乗り場は長蛇の列。
という時もある。人生、一寸先はまったく判らない。
定刻通りに出社できて、夜は、ちゃんと家に帰り着くという事は、当たり前のことだが、これが、大変な事だ。
と、判った時に、まず出てくる言葉は「ありがたい」であろう。
めしが、まずい。会社の職場が面白くない。
文句は、いくらでもある。
しかし、戦時中のように、食べるものがない。おなかがすく。顔の色が黄色くなるかと思うほど、南瓜かぼちゃの汁ばかり。
会社が潰れて失職する、失業保険も切れた。家のローンも、車のローンも残っている。子供を私学に入れた学費は嵩む。家内は働きに出ているが、体調が悪い等々。
文句ばかり言っていたら、悪い事が、これでもか、これでもかと襲ってくる。
やはり平穏が一番いい。平安。静かな暮らし。これが、どんなに有難いことか。大災難、大難病にあったことのない人は、平安、平穏の値打ちが判らない。
判らないで、感謝していないと、神様は、きっちり判るようにしてくれる。
2007年8月記