お早うさんが言えない
『人間は、心の問題に触れると、友人を失う』と昔、書いた。
お子様のいない御夫婦で、定年後は海外旅行を楽しまれている結構な知人が、晴れの日は早朝から神社や寺院の掃除に行く。
お手紙に、休日の日など、ハイキングに行く老人たちが、そのあたりを集合の場にして、せっかく掃いて集めた枯葉の上を踏み散らかしていく。
もう腹立たしくて、堪忍の緒が切れそうになるーと。
ある日、竹箒を持った、その人が、えらい怒っている夢を見た。寒山拾得である。
気になるのでお手紙を出した。『自分が変わらないと人は絶対変わらない』。
腹の立つ相手に『おはようさん』と声をかけて、それを三カ月も続けると、向こうから、必ず『御苦労様』と声がかかるでしょう。
いい実験です。人間はたわいもないものだと知ります。薬師寺の高田好胤さんは、いつも、『こだわらない心』と申していました。広く広く、もっと広く…と。
返辞のお手紙が来た。自分としては、絶対できない。相手に、こちらから挨拶するなど、死んでもできないーと。
それなら仕方ない。面白い実験なのに。
人は体格。人格。性格がある。性格は変えられない人も多い。
品格、そして霊格。霊格はDNAの中の遺伝子である。すなわち霊遺伝子。
変えようにも変えられない御性格は、無理しないほうがよいのか、心の修行で、こだわらない心にするのか。
世の中は、色々な性格の人によって成り立っている。
それを、いちいち、どうこういういう必要はない。
『そういうものだ』と判ればよい。
どんなに寒中の滝に打たれる修行をしても、なんの変化もない人もいた。四、五年、滝に打たれる修行の真似をしてきたから、自分はそのことは判る。
『こだわらない』ということは、生きていくうえで大変な問題である。
2005年11月記