東京の相場は味噌の匂い
横光利一は、ヨーロッパの知性は金銭を見詰めてしまったあとの知性である。
日本の知性は、利息の計算を知らない知性だと言った。
一流の作家ともなるとうまいことを言うものだ。
梶山季之は、売れないのが純文学で、売れるのが大衆文学であるーと。
これも、うまい表現の仕方である。
NYやシカゴなどのアメリカの相場を見ていると、NYが純文学的であり、シカゴは大衆文学的である。
これを東京の相場と比較すると、NYもシカゴも、アメリカの相場は、「ヨーロッパの知性の」、金銭を見詰めてしまったあとの、ような相場と感じる。
東京の場合は、仮にNYやシカゴの写真相場であっても、横光利一のいう利息の計算を知らない(知性のない)相場である。
NYとシカゴの違い。アメリカと東京の違い。
どこから来るのか。勿論、相場をしている人たちの気質の違いもある。
ファンドにも、それぞれ性格の違いがあらわれる。
東京の相場は、民族性というものの、におい、というものがある。
東京相場の、この匂はわれわれ感じないが、外国人が国際線の日本航空の機内に入ったとき、瞬間的に感じる、味噌・醤油の匂だ。
われわれが、マレーシアなどの飛行機で、瞬間に感じるカレー粉の匂は、現地の人には感じない。
昔、日本人は、白人はバターくさいといった。
確かに、戦時中、沢山のイギリス人捕虜が、はこばれて行くときに、バターの匂がしたものだ。
体臭というもので、NYの相場の体臭と、シカゴ相場の体臭の違いが判るのは、日本人だけであろう。
東京の相場の体臭は、ヨーロッパやアメリカ人には判るはずである。
民族性によって相場の呼吸が違っている。
それは、金銭を見詰めてしまったあとか、利息の計算を知らないのか、相場の歴史的時間によるものだ。
2005年5月記