人様の不幸を喜ぶ
『賀辞に憂いあり。弔事に歓声あり』ということを聞いたことがありますか。
人間の心の貧しさを教えている。韓非子だったか、三国志だったかにあった。
賀辞とは、昇進とか、栄転、叙勲。おめ出とう。
人様から賞賛を受ける。
『しかし』考えてみる賞賛の言葉の裏には『あの野郎め』とか、『なんであいつが』という面白くない人もいる。
勿論、素直に、心から喜んでくれる人もいる。
しかし、階級社会や、組織の中では、そうでもない。
弔事に歓声ありという言葉も嫌な言葉である。
まさか、人様の不幸に『やったぁ』と声に出さない。
しかし心の奥底で、次は私が次官だ、局長だ、専務だ、社長だという順番待ちの人も多かろう。
知事閣下が警察に逮捕されたら相手陣営は、歓声を上げるかもしれない。
人様の幸福を喜ばず不幸を喜ぶのは、品性下劣である。そんな心が、ちょっとでもあったら、今すぐに改めたほうがよい。自分の運勢が落ちていくだけだ。
嫌いな言葉に『隣家の不幸は、おかずいらず』、あるいはフグの味というのがあります。
隣の家の娘が離婚され帰っている。また長男が大学受験に失敗した。
晩の御飯の時に、それが話題で、おかずなしでも、御飯がおいしいというのは不幸だ。
世の中には、色々な考えを持っている人がいるから『賀辞に憂いがあり、弔事に歓声あり』の次元でもあろう。
女性週刊誌の新聞広告などを見ると、多分に編集の基本方針は、この世界の次元である。それを読みたがる読者が多いのだ。
ゴシップ、暴露、スキャンダルが週刊誌の売れ行きを左右する。
嫌な世の中だといっても、論語や孟子の世界でない。
三千年昔から変わらない。
人間は、人様の心の奥底が覗けないから、社会は、うまくいっている。
2007年1月記