悲しみは雪のように

降る雪や明治は遠くなりにけり(草田男)。明治どころか、昭和も遠くなりにけりである。

台湾で育ったから、寒いのは身にこたえる。

現地では、当時寒くなっても気温は一〇度程度。雪が降ると『遠くの高い山が白くなっている』と大騒ぎになった。

魔法ビン持参で山に向かう者もいた。雪を詰めて帰るのだという。

「持ち帰ってどうするんだ」と尋ねたら、『雪を食べたいんだ』という応えが返って来た。

さて、国内商品はなお円安で上げている。

この円安が一息つけば、何もかも下がる。

売り屋は、売っては踏み、また売っては踏みの繰り返し。

両建てで辛抱している投資家も多かろう。

ただその両建ては安い処を売り、高い処を買っている人たち。

これを長パッチという。ゴムの出来高は特にそれを物語っている。

ここでストーンと落ちれば、売り玉手仕舞いするも、買い玉が残る。

さらにドスーンと落ちれば、この買い玉がヒリヒリ状態。

そこで両建ての売りを仕掛け、更に長パッチの繰り返しとなる。

こういう相場で、踏んでは売り、踏んでは売りを繰り返せるのは、投資家というよりも、修羅場を掻い潜ったプロ。

ただプロとても、何時までも意地を通すと生き残れない。

何年か一度、こういった相場が来る事も、わきまえておく必要が。

東京は降り慣れぬ雪に都市機能が麻痺。雪の扱いに慣れぬ人は、歩き方も出来ていない。

あちらでスッテンコロリン。こちらの軒先では雪塊がドサッ。何だか、今の相場と重なる。