昭和の風林史(昭和四六年七月三日掲載分)

偉大な強さだ 必ずや沸騰する

きわめて強い相場である。恐らく一万七千円を今月は抜くだろう。人気化すれば沸騰する。

「水盤の芋の葉小さし向き向きに 土羊」

どの限月もすべて強さを表示している。十、十一月限の新値抜けは時間の問題であるし、新値を抜けば、また新しい相場になる。

産地の天候は夜の冷え込みがきつく、作柄も感心しないと伝える。

ここで、はっきりした低温が実現すると相場は、もう待ったなしだろう。

おもしろいことに一万六千円という値段が、馴れてくると、あまり意識しなくなる。

四千円抜け→五千円抜けそして六千円と、急ピッチの上昇だと不穏な感じをいだくけれど、六千円台で半月も押したり突いたりしているうちに値段に馴れてしまった。

やはり今度は七千円の相場である。

作柄の悪いことは織り込みずみという見方もあるが現実に今より作が悪くなってくれば、そこは相場の常。当然人気化しよう。

作が悪くなる可能性は一カ月の天気予報を見れば、およそ考えられることである。

先物相場の投機は情報と判断力、すなわち可能性への挑戦である。

筆者は、付いた値が情報だと思う。材料のすべてが消化されて一ツの値(相場)が付く。

下寄り後上伸という動きそのものが相場の上値指向を物語るもので高値更新もとより偉大な現象である。

相場は相場に聞け。この言葉は相場ある限り不滅の哲理である。

相場は作柄の進展を足踏みしながら待っていた。

月末、十一月限が下放れて星(独楽)をつくり、それが〝捨て子〟になって新ポ上寄り陽引け―という日足線二本の現象は判断の基盤となる偉大な情報である。

こんなところ買えないという人も多い。こんなところ買えないと思うのはなんらかの先入観があるからである。崩れたら深いという潜在意識もあろう。

単に値ごろによる警戒気分もあるだろう。

それはそれでよいのである。自分の意識に反する行為は特に相場する場合、避けたほうがよい。ただ、こんなところ買えない―という気分がエスカレートしてよし売ってやれ―と、行動に出てしまうと取り返しがつかないことになろう。

今の水準を維持していること、それ自体が相場の強さであり、しかも上伸の姿を示す以上、逆らうことは出来ないはずだ。

●編集部注

四十六年七月三日寄り付きは一万六〇〇〇円、引けは一万五八九〇円。

この翌週、五日にマドを空けて下落。ここから相場は更に値を落とし、七月十日には一万四一一〇円まで売り込まれる。

恐らくこの時「この曲がり屋め」と風林は謗りを受けたろう。しかし、その後相場は反発して、その三カ月後に二万一〇〇〇円を超えている。

この年、北海道は大冷害見舞われ、赤いダイヤの魔性が発揮され、史上最高値を付けた。

ただ同時に、この時の穀取の対応が問題となり、風林は取引所への大批判論を展開した。

【昭和四六年七月二日小豆十二月限大阪一〇円安/東京三〇円安】