昭和の風林史(昭和四六年七月十日掲載)

銭になる相場 暴騰暴落茶飯事

戻り売りだ。急反騰叩き売れ。突っ込み買いだ。棒下げ急落横になって買え。銭になる相場だ。

「冷麦の箸をすべりてとどまらず 温亭」

山梨商事の霜村社長は久々で〝燃えていた〟。彼は信念の強気であるが、時に相場に逆らわず、むしろ落勢に乗って低い地点まで相場に同行することもする。しかし、彼は猛反撃のチャンスとその時点を狙っている。あくまでも冷静そのものであるが、身体の芯から湧いてくるふつふつとした闘志は、筆者の見るところ、まったく久しぶりのものである。

山大の元帥は、まだアメリカで、明11日(日曜)に帰国する。杉山社長が渡米の際『僕の帰ってくるころは五千円を割っているだろう』と言いながら羽田を飛び立った。

現在アメリカとわが国の間はダイヤル直通で、電話がかかる。元帥はアメリカから『売ッタァー、買ッタァー』とやっているかと思ったが、彼は行く時に三百枚ばかり売って行ったものの、気楽なもので『どうだい、いまゴルフから帰ったところで風呂からあがってビールをやっている。どうも疲れたヨ』などと人ごとみたいだ。

山大は元帥の指示でお客さんは高値を売ったが、その玉の利食いで店内は場が立つと熱気充満。

東京岡地の岸上常務は宮越の件以来まさに時の人で、人物もひとまわり大きくなって『わたしゃ岡地の手のり文鳥ですから…』と話をそらす。『近藤さんが、あんな売り方をしますかね?』などとこの人独特の煙幕の張りようだが、東京岡地の店頭は名古屋の繊取の立ち会い場より人数も多ければ大阪穀取なみの活気がある。御冗談ではない手のり文鳥が数億円の豪宅に住んでいるなどと週刊誌に書かれたりなどはしないはず。

『うちの店頭はチボ(すり)が出るよ(笑い)』―冗談ではあるが山本勘介、岸上常務の鋭い目がキラリと光る。

さて相場のほうだがどんなんだろう。

見ていると誰も彼も燃えている。そして誰も彼も高値掴みだ。

筆者は次のように見る。

新穀一万四千五百円割れから反騰。

だが出戻りでなくまた崩れる。

一万三千八百円(一万四千円割れ)時点から買いさがり方針。

どんなに崩れても一万三千二百円で底入れする。

大台三ツ変わりは買いでよい。今の千円幅の動きは三百円幅と見れば、それほど熱くならずにすむ。

戻り売りだ。

そして突っ込み買いだ。

●編集部注
懐かしい人たちが出揃った。買い方、売り方、それぞれ名うての相場師。こういう時代もあったのだと―。

風林も意気盛ん―戻り売りだ。急反騰叩き売れ。突っ込み買いだ。棒下げ急落横になって買え―と鼻息荒い。

いったいどっちなんだと、当時の読者は風林が強気なのか、弱気なのか、困惑したことだろう。

相場はここから大逆襲が始まる。明日はどっちだ!

【昭和四六年七月九日小豆十二月限大阪二二〇円安/東京一二〇円安】