昭和の風林史(昭和四六年七月十四日掲載分)

大安値は買い なにサ近藤紡が

大安値は、むしろ買い有利である。なにサ近藤紡が怖くて小豆が張れるか―と強気が逆襲しよう。

「積石に沈みし蛇や花胡瓜 若沙」

こういう考え方である。すなわち近藤紡の小豆十月限売りは。

人が聞いたら笑うような単純な発想である。怪獣の怪獣たるゆえんと申すべきか。

手亡と小豆のサヤは三千円ぐらいなのに一万円近くも開くとは変だ。

十月限はヒネの捨て場限月である。一万六千六百円を二度も買って、その相場が伸びきらないのは老境に入っている。疲れた相場と見るべきだ。

品物が無いという人気であるが、新穀の出回り期も近くなれば、残っている現物が十月限にツナがれるし天候がよくて新穀限月が崩れだせば十月限だって値崩れする。

ところが小豆相場のクロウトにすれば十月限をカラであれだけ大量に売って、いざ買い方が、さあ受けましょうときた時、一体どうするのだろうと、当然のことを考えるけれど怪物近藤紡には、通用しない。

近藤紡に近い筋の小豆相場に対する見方は次のようになっている。

①買い方は一万六千円台で腹一杯買っている。千円替え、二千円替え水準を下げられると買い方の足並みも乱れよう。

②近藤紡は一万六千百五十円平均で千三百枚売った。この相場が六千七百円あたりまで反発すれば、まず買い方がやれやれで売りたいだろう。近藤紡は六千七百円でもう千枚売る準備をしている。

③もとより先行きの天候次第であろうが、五億、十億の損なんか蚊のとまったような近藤紡である。スケールが違う。いままで小豆相場は横綱と十両ぐらいの相撲で買い方が売り方を手玉にとってきたが怪物のような超ド級の近藤紡の出現で、いままでの横綱もコロリコロリだろう―。

一方買い方は、ここで下げれば天候の味方で大反騰、大反撃の相場が必ず出現する。近藤紡が怖くて相場が張れるか。近藤紡は、天下に有名な相場へた。ドラゴンだろうとジラゴンだろうと急所というものがある。無いもの売って勝てる道理がない。

ところで山大商事の杉山元帥は帰国して二千丁替え利の乗った売り玉を気持ちよさそうに利食いしていた。ここからは、あまり弱気しても駄目だな。もう少し下値があろうが、安値を売るのは考えものだ―と。

●編集部注
堪え性のない人間は、相場に向かない。それは、〝信念〟という言葉に置き換えても良いだろう。

人は、相場から信念を作り出し、その信念が、次の相場を造り出す。

トレンドやサイクルは相場が作り出すものであるが、相場の勢いは各々の信念を持った人々の手によって造られる。

そして、強弱どちらに傾くかは、買い方、売り方双方の勢力における、信念の積算量の差で決まるといってよい。

この記事に登場する買い方と売り方、双方の描写を読む限り、買い方には悲壮感が漂い、売り利食い方には余裕がある。

勢いあるは近藤紡只一人。しかし、その強い信念はその後、大相場を造り出す事となる。

【昭和四六年七月十三日小豆十二月限大阪九〇円安/東京一〇〇円安】