7月22日付 メリマンコラム 《長期見通し》 その1
“過去の世紀において、暴力はほとんど常にアメリカの政治における逆効果となっています。反ベトナム戦争や公民権運動が最強であった期間は、運動に関わる人間達が非暴力の原則に忠実であった時なのです”。
―Maurice Isserman and Michael Kazin 著『分断されるアメリカ:1960年代の南北戦争』よりOxford University Press, New York, NY, 2011
“だから例え今日も、明日も、困難に直面していても、それでも私には夢がある。それはアメリカンドリームに深く根ざした夢だ”
“私には夢がある。それはこの国がいつの日か立ち上がり、その信条の真の意味を体現していく事だ。即ち『全ての人間はみな平等に創られている。それは我々にとって自明の真理である』”
“もしアメリカが偉大な国家になろうとするなら、これを実現しなければならない”
“そして、これが実現した時、我々が自由の鐘を鳴らした時、またその自由の音を村から小さな集落へ、州から市へと鳴らし伝えた時、全ての神の子達、黒人と白人、ユダヤ人と異教徒達、プロテスタントとカトリックが皆手を携えてこの古い黒人霊歌を歌うことが出来るのだ”
“遂に自由になった!遂に自由になった!全知全能の神に感謝しよう、我々は遂に自由になった!”
―1963年8月28日マーティン・ルーサー・キング『ワシントン大行進』での演説から
嗚呼、これが狂気である。しかしながら、先ず、我々はアストロロジャーにとって“狂気”とは何かを定義づける必要がある。そして、アストロロジーの研究そのものが「狂気」であり、したがってそれを研究する人間もまた「狂人」であるといった、世間一般の人々の観念 にめげることなく、考えていかねばらならい。
人類史上、アストロロジーほど古くから研究されている学問は他にないという事実など誰も真摯に受けとめていない。いったい何故なのか? きっ と歴史上、人類の文明はそのほとんどが正気を失った人々によって成り立ってきたからに違
いない。
だが、畏れながら、私はそれには賛同しない。
私から見れば、昨今の世界に生き、それを創りあげている人々こそが、おそらくは歴史上最も正気を失った人々だからだ。