昭和の風林史(昭和四六年七月二十一日掲載分)

相場疲労の極 意外な下げあり

つくづく感じることは、この相場〝疲労〟しきっている。かなり深い下げがはいりそうだ。

「川床更けて露けき袖を重ねける いはほ」

大阪穀取の吉次常務理事の言い出した建て玉制限の方法について、業界では、きわめて評判がよくない。その点、東穀のそれは充分に事情を考慮した措置で、東西両穀取間にかくも差があるようでは先行きが、きわめて憂慮されるのである。

北浜の中井幸太郎氏は『たわけもいい加減にせいと言いたい。実に馬鹿げた大阿呆だ。一体なにを思っているのだ。大衆相手の専業取引員と自己玉主体の当業取引員と、まったく玉の性質が違うのを知らないのだろうか。三枚、五枚のお客さんばかりで制限玉をオーバーした場合、どうやって取引所の決めた枚数以内に収めればよいのだ。馬鹿野郎だよ実際、話にならん』―吐き捨てるように言う。

西田三郎商店の真鍋社長も『無茶苦茶な話だ。さしずめお客さんにどう説明して玉を減らしてもらうかだが、嫌だと言われた時どうすればよいか。他店に回せばよいと言うかもしれないが勝手にそのようなことは出来るものでない』。

大穀の吉次常務はお役所がそう言うから―と、まったく自主性がない。彼は自分の立場だけを考えて理に合わない、たわけた建て玉制限を押しつけた。では役所の誰がそのようなことを言ったのか。まさかG・H・Qがとか、その筋が―と虎の威をかりて自分の立場をよくしようと思っているのではあるまいか。

さて相場のほうは低温不順にもかかわらず気重い。相場が、やはり疲労しているようだ。

本来なら火曜日は、あれだけの低温なのだからふっ飛ばされなければおかしい。買われすぎた相場である。従って、ここのところは水準を思い切って下げて、それからのことになるだろう。

仮りにここで無理して新値に煽り上げても、そうすることによって相場はよけい次なる下げをきつくするだろう。つくづく感じた。相場は疲労しきっている。

この相場、意外な下げに向かいそうだ。

●編集部注
相場が、疲労の極みなのではない。相場参加者が、疲労の極みなのだ。

この記事の指摘通り、ここから相場は約一カ月間、上に下に、混迷の相場つきになる。

その混迷の一端を担ったのが上記レギュレーション変更問題であろう。

徳川吉宗の時代から、レッセフェールでいきたい相場参加者と、意のままに動かしたい為政者側の対立は、今に至るまで一進一退の攻防を繰り返している。

往々にして、前者の力が強いと市場は旺盛になり、後者の力が強いと市場は廃れる。この文章をお読み戴いている十年二十年選手の方々は、その事を深く感じていらっしゃるのではないか。

相場の変転は何がきっかけになるか判らない。小石崩れが大崩れに発展する事も、またその逆の例も、よくある話である。

この文章は四十年以上前のお話だが、今の相場と何ら変わりはない。

むしろこの文章が今の相場つきのメタファーに思えてならない。相場は常に呼吸する。騰げ続ける相場など存在しない。

ただ、今の貴金属相場と、昭和の小豆相場とが重なって見えるのは、筆者もまた、今の金相場に疲れているだけなのかも知れない。

【昭和四六年七月二〇日小豆十二月限大阪二七〇円安/東京三三〇円安】