昭和の風林史(昭和四六年九月四日掲載分)

崩落自然の姿 自律作用である

凶作を買い尽くした。エネルギーも燃焼し尽くした。暴落は相場の自律作用だ。方針自由のところ。

「鳳仙花ほろほろこぼれ薪かたし 秋穂子」

相場も、ここまでくると上値付けほうだいとは、いかない。相場の自律作用からくる崩壊を厳重に警戒しなければならないのである。

作柄の悪さは人々の骨髄にまで浸透している。凶作半作は、すでに万人承知。故にここまで買われた。その限りでは現時点における作況に対しての相場価格は目一杯まで買われていると判断する。

相場内部要因面ではさしもの売り大手も踏み終わってしまった。そして業界では市場の維持について深刻な事態を迎えている。

この時、買い大手が、なおも強引に相場を買い進まんか、必ずや非難の声は轟々たらん。

良識と理性の名のもとに強気方針を一貫し、大成功をおさめた主力買い方は、逐次矛(ほこ)をおさめ、冷静な市場維持に努めなければならない責任を有する。

もとより凶作ゆえに相場高騰するは、当然の成り行きなれど、不当に市場操作を行ない煽りたてるような行為があれば、業界の破壊者、市場の破壊者としての汚名を永遠に着せられることであろう。当然買い方も慎重となる。

二日の各穀取における市場管理委員会の措置は総じて冷静な判断に基づいて妥当なところであった。各市場管理委員会のあくまで市場を続けていこうと努力がそこに見られる。

東穀二・一八事件のような軽率でしかも愚かなことは二度と繰り返してはならない。

相場のほうは、きのう書いた通りである。

深い押し目を入れる。それは相場の自律運動からくるもので、これからの一連の動きは大天井打ちの前兆と見るべきであろう。

筆者は千円ないし千二百円の押し目構成後、最後の天井打ちの相場を予想する。

方針は、もとより各人の判断に基づき、高値売るもよし、買い下がりよし、突っ込み買いよしのところ。

要は、市場さえ維持されれば、大天井打った相場は、いかに大凶作でも値崩れしてくるもので、そこに人為的買い占めなどの要素がなければ、必ずや自然の動きに還元するのである。

いずれ凶作に買いなしの相場となろう。今は叩き込み買い方針のところである。

●編集部注

悪貨は良貨を駆逐するとグレシャムは言った。

銘柄を問わず、全ての市場は鉄火場であると同時にやっちゃ場である。 

〝しじょう〟でお飯を食っているのなら〝いちば〟の管理もちゃんとやんなさいよ、と言う事。

この警句は、今生かされているだろうか。

【昭和四六年九月三日小豆二月限大阪一三〇円安/東京一八〇円安】